何事も続ける事は容易ではありません。

ましてや、望む結果が得られない場合は、
続ける意義を失い、往々にして止めてしまうでしょう。

 

 

 

例えば、ダイエット。

目標とする体重があり、

ダイエットに日々取り組むも、

なかなか成果が現われなければ、

続けるモチベーションが低下して、

挫折するのが落ちです。

 

語学学習なども、

日々、語学を学んでいても、

いつまでたっても自分がマスターしたという

実感を得なければ、

途中で止めてしまうのも珍しくありません。

 

焦ってはいけないのですが、

なかなか結果が出ないと、

続ける気持ちが無くなるのも

無理からぬ事かもしれません。

 

 

 

今回のテーマは信仰についてです。

 

信仰とは、その字の通り、

信じて仰ぐ事です。

 

この信じて仰ぐ事を貫き通せば、

本物の信仰心となります。

 

結果が出ようと出まいと、

どんな結果になろうとも、

信じて仰ぎ続ける事が出来るのか。

 

それが信仰の神試しとなります。

 

 

 

信仰の例を、神社参拝でお話ししましょう。

 

神社参拝に行ったら、

数日後、祈願内容が叶った。

 

これなら、神社参拝にまた行く事が出来ます。

また行ったら、また願いが叶った。

さらに、また行ったら、また願いが叶った。

 

この状態が続くのなら、

神社参拝を続けるのは容易です。

 

しかし、これでは、

神社は、人間の願望成就マシーンでしかありません。

 

そこに信頼関係があるのか。

固い絆があるのか。

 

 

 

信頼出来る人間関係とは、

どのようなものでしょうか。

 

自分が開運して、売れている時の縁ではありません。

売れない時、苦しい時、どん底の時に、

協力しあった縁こそ信頼出来る縁。

 

自分の良い時しか知らない状態で結ばれた縁は、

自分が落ちた時、その縁が続くのか。

 

もし、それで切れたら本当の縁ではありません。

自分を利用していただけです。

 

 

 

神社参拝しても、何も変化がない。

むしろ、一見、悪い方に進んだ。

 

それでも、続けられるのか。

 

普通に考えれば、

望む結果が手に入らないのだから、

続ける意味がないのです。

 

それでも、続けられるのか。

 

それでも、続けられるのが信仰です。

 

 

 

ユダヤ教には、このような例えの教えがあります。

 

「片足を折れば、両足でなくて良かったと神に感謝し、

両足を折れば、首の骨でなくて良かったと神に感謝する」

 

とにかくどんな結果になっても、神に感謝する。

それこそ信仰の極意。

 

そんな事をして何の意味があるのか。

 

そんな事をすれば、不幸がなくなり、

感謝する事しか起きない人生になる。

 

 

 

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