北条時宗

(ほうじょうときむね)

鎌倉時代。鎌倉幕府の第8代執権。

                                               

18歳で、幕府の執権、幕府のトップになる。

 

そして、日本は建国以来の最大のピンチが訪れます。

元寇です。

 

最強モンゴル帝国が、日本を支配下におこうと

文書で通達してきました。

 

朝廷は、ビビッて何も出来ません。

所詮、ぬくぬくとした日々を送り、

戦を知らない貴族、

途方に暮れるだけ。

 

そこで毅然とした態度を示したのは、北条時宗。

6回も送られた文書を無視。

 

こうしてモンゴル帝国との戦いの火蓋が切られました。

 

最強モンゴル帝国の戦力は圧倒的。

日本は、簡単に壊滅・・・。

と、思いきや、これが結構な善戦。

 

何故、モンゴル帝国がこれほど苦戦したのか。

 

そこには、北条時宗による周到な準備がありました。

 

事前に、他国から、モンゴル帝国に関する情報を入手。

モンゴル帝国の攻撃を予想出来ていました。

 

それにより、戦対策が進み、

満を持しての開戦だったのでした。

 

 

 

元寇は2度襲来するのですが、

2度とも、台風がきて、

モンゴル軍は、台風により殲滅。

 

元寇は、台風により日本は救われ、

この台風は、神風と言われていますが、

実際のところ、日本は何もせずに、

ただ、神風が吹いて救われたわけではありません。

 

北条時宗の指揮下で、

用意周到の準備のもとで戦い、

モンゴル軍を日本に上陸させなかった事が、

その前提にあるのです。

 

何故なら、

台風は、モンゴル軍の襲来の日にきたのではありません。

 

そして、モンゴル軍が簡単に日本に上陸していたら、

台風がきても、もはや後の祭り。

 

日本軍の踏ん張りがあっての台風なのです。

 

 

 

その日本軍を指揮した北条時宗。

 

2度の元寇から日本を守った北条時宗。

 

その数年後、北条時宗は病死します。

まだ、34歳の若さでした。

 

北条時宗は、早くから禅を信仰していました。

北条時宗の精神性は、禅により養われていたのでした。

 

言わば、北条時宗は、日本を元寇から守るために生まれ、

その役割が終わると、あの世に返っていった。

そんな生涯だったのです。

 

まさに、国難の危機のため、

神より派遣された人材。

それが北条時宗。

 

 

 

そして現代、

今、日本は元寇なみ、

いやそれ以上の国難の危機が訪れようとしています。

 

神に祈願しましょう。

今一度、北条時宗が現れるように。

 

 

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