優しい神様もいれば恐い神様もいらっしゃいます。

                          

角度や導き方が違うだけで、

どのような神様でも愛が極まっています。


裁き、試練、そのいずれも

神様によりもたらせるものは、

愛あるが故です。

 

だから、神様のご加護によるものは、

いかなるものであっても、

感謝の心で受けるべきです。

 

しかし・・・

そうは言っても・・・

やはり、優しく慈悲深いご守護が

なんとも有難いと思うのが、

偽らざる気持ち。

 

そんな本音に見事に応えてくれる神様を紹介しましょう。

 

優しい、慈悲深い、自分の事をどこまでもわかってくれる、

このような存在は、3次元の私達に近い、

4次元の仏様です。

 

だから、今回は、神様というより、仏様になります。

 

 

 

<地蔵菩薩>

弥勒菩薩が56億7千万年後に出現するまでは、

この世には、仏がいない状態とされているため、

その間、命あるもの全てを救済する菩薩。

 

この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると

身代わりとなって地獄の苦しみから救う。

 

凄い、一度でも手を合わせると

身代わりとなって地獄の苦しみから救ってくれるとは。

絶対に、一度は手を合わせましょう。

 

 

<十一面観音>(じゅういちめんかんのん)

苦しんでいる人をすぐに見つけるために

頭の上に11の顔があり、

全方向を見守っている。

それぞれの顔は、人々をなだめたり、

励ましてくれたりする。

 

なんと、顔が11もあるのは、

苦しんでいる人をすぐに見つけるためだったのだ。

なんという優しさ、なんという慈悲深さ。

 

 

<千手観音>(せんじゅかんのん)

千本の手があり、

その手の掌には目が付いている。

手は多くの人々に救済の手を差し伸べ、

目は人々を教え導く事を現す。

このように千の手と目は、

どんな人達でも漏らさず救済しようとする

広大無限の慈悲の心を表現している。

 

どこまで優しいのだ。

どこまで慈悲深いのだ。

そうまでして人を救済する。

感謝以外の言葉が見つからない。

 

 

<不空羂索観音>(ふくうけんじゃくかんのん)

「不空」とは、信じれば必ず願いが叶い、

空しい思いはさせないという意味。

「羂索」とは、密猟や戦闘に使われた捕縛用の網の事。

従って、この仏の働きは、

あらゆる人々の悩みを逃す事なく救済し、

願いを叶えるという事。

 

どこまででも、ついていきます!

 

 

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今回は、縁とは不思議という2つのお話です。

                                  

                        

私が子供の頃、

家族が電車に乗る為に、駅に行くと

駅員が、私の家族にこう言いました。
「遠藤さん、お出かけですか。気を付けて」

 

帰ってくると、駅員がこう言いました。

「遠藤さん、お帰りなさい」

 

駅員は、私の家族にだけ、名前を言って挨拶しました。

これがとても不思議でした。

 

何故、私の家族にだけ・・・。

そもそも駅員と何故、知り合いなのか。

 

後に、この理由がわかりました。

 

生前、祖父が駅に行った時、

線路沿いが殺風景でよくないと思ったそうです。

 

そこで、ある時、祖父が駅のホームから降り、
線路沿いにヒマワリの種を植えだしたそうです。

 

そしたら駅員に発見され、捕まり、

家族に通報が来て、

それ以来の知り合いだそうです。

 

 

 

私の小学生時代にこんな事がありました。

 

先生が、こう言いました。
「好きな人と嫌いな人を書きなさい」

 

今の時代なら、大問題となるでしょう。

子供とはいえ、完全なプライバシーです。

 

好きな人は、

遊び友達の何人かを書きました。

 

困ったのは、嫌いな人。

 

特に、いませんでした。

 

しかし、小学生時代の私は素直で、

先生の言う事は絶対だと思い、

とにかく誰か一人でも、

名前を書かなければと思いました。

 

そこで思い立ったのが、転校してきたH。

Hは転校してきてまだ日が浅く、

話した事もなく、よく知らない。

 

嫌いな人の欄に、Hの名前を書きました。

 

 

クラスメイトの縁は、

大概クラスが変わるとそれで終わりです。

 

特に、学校が変わると

先ず、縁はなくなるのが普通です。

 

しかし、Hとの縁は続きました。

私が、大学に合格した時、

記念品として、ボールペンをプレゼントしてくれました。

 

その縁は、社会人になるまで続きました。

 

時折、小学生時代に嫌いな人の欄に

Hの名前を書いてしまったという

後ろめたい気持ちに少し苛まれながら。

 

 

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『麒麟』

(きりん)       

 

 

中国神話に現れる伝説上の霊獣。

 

王が仁のある政治を行う時に現れる

神聖な生き物・聖獣とされます。

 

鳳凰、霊亀、応竜と共に

四霊と総称されます。

 

 

形は鹿に似て大きく

背丈は5メートルあります。

 

顔は龍に似て、

牛の尾と馬の蹄をもちます。

 

背毛は五色に彩られ、

毛は黄色く、

身体には鱗があります。

 

一本角があります。

 

 

普段の性質は、

非常に穏やかで優しい。

 

足元の虫や

植物を踏むことさえ恐れるほど

殺生を嫌います。

 

角の先は、

肉に包まれ、

誰も傷つけません。

 

 

1000年生きるとされ、

麒麟を傷つけたり、

死骸に出くわすのは、

不吉とされました。

 

 

麒麟のいるところには、

良いことが起きると言われています。

 

麒麟を家に飾ると

凶方位の災いを除き、

悪運を払って家の運気を上げ、

優れた男の子を授けてくれると

考えられていました。

 

縁起が良くて、

良いことずくめなので、

中国ではよく家に麒麟を飾ります。

 

また、傑出した人物を麒麟と呼び、

優れた少年を麒麟児と呼びました。

 

昔、麒麟児という

大相撲力士がいました。

懐かしい。

 

 

獅子舞が、麒麟の顔という場所もあります。

 

沖縄の家の屋根に飾ってあるシーサーは、

ルーツは麒麟という説があります。

 

 

麒麟の姿と言えば、

多くの人にとっては、

キリンビールのラベルを

思い浮かべるでしょう。

 

明治時代にさかのぼりますが、

当時の輸入ビールには、

オオカミやネコといった

動物の絵が多かった。

 

それならば、と

東洋の聖獣を選んだそうです。

 

キリンビールのラベルの

麒麟の由来です。

 

キリンビールの会社では、

幸せを運ぶ聖獣麒麟と

位置づけられています。

 

日本では、

「ビールと言えばキリンビール」

と言われています。

 

麒麟の導きか。

 

 

麒麟と言えば、

お笑いコンビを思い浮かぶ人もいるでしょう。

 

コンビ名の由来は、

難しい漢字名で

インパクトを与えたかったそうです。

 

他の候補として、

薔薇、憂鬱などがあったそうです。

 

麒麟で良かったと思います。

 

実際、お笑いコンビとして売れました。

 

 

 

中国では、多くの著作に

麒麟のことが載っています。

 

このような記載もあります。

 

 

魯の重臣たちが狩りに行き、

麒麟を捕まえました。

 

しかし、麒麟だとわからず、

変わった姿を不気味に思い、

その動物を狩場の管理人に押し付けて、

帰ってしまいます。

 

それを知った孔子は、

泰平の世に現れるはずの麒麟が、

出てくるはずのない戦国の世に

出てきたことに驚きました。

 

そして、人々が麒麟に気づかないことを嘆き、

この話を最後に、筆を折り、

その後亡くなりました。

 

 

 

聖人が現われると姿を現す麒麟。

 

今こそ、聖人の登場が待たれます。

 

麒麟が現われる時、

必ず風が吹き、

嵐が起きる。

 

 

 

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世界の人口は、現在約80億人と言われています。

                            

そのうち、キリスト教徒は約22億人。

イスラム教徒は約16億人と言われています。

 

世界の人口の約半分が、

キリスト教徒とイスラム教徒となるわけです。

 

しかし、我が国日本においては、

両方とも、あまり広まっていないのが現状です。

 

何故でしょうか。

 

キリスト教が日本で広まっていない理由は、

いくつか考えられています。

 

聖書の背景が、日本人には全く馴染まない。

 

厳しく荒々しい面を持つキリスト教の神が、

古来の日本人の神のイメージに違和感がある。

 

人間は、生まれながら罪を背負っているという

原罪の考え方に抵抗感がある。

 

このように色々と言われています。

 

それでも、キリスト教は、イスラム教に比べれば、

まだ日本に浸透されていると思います。

 

イスラム教に至っては、

日本では、異文化、異世界のイメージが一般的でしょう。

 

何故でしょうか。

 

それはイスラムの文化、風習が、

さらに日本とは異なっているとも言われています。

 

 

 

イスラム教徒にとって、

イスラム教は、信仰であり、法律であり、行動や生活、

はたまた人生を規定するものです。

 

イスラム教徒であることは、

アッラーに従うこと。

コーランに従うこと。

 

では、その目的とは何か。

 

それはそれによって天国の切符を貰うことなのです。

こうした人生の目標、目的があるため、

イスラム教徒の生き方はブレません。

 

イスラムでいう天国は、

緑園(りょくえん)と呼ばれます。

 

その緑園は、コーランに細かく描かれています。

 

緑園は、辺り一面の緑の園で、

美味しい果物が食べられ、

お酒も飲めます。

美女を妻にすることもできます。

 

イスラム教徒は、この緑園を目指しているわけです。

 

美女を妻にすることができる、

という視点なので、

男性目線であることがおわかりでしょう。

 

私からすれば、それを望むのなら、

何故、生きている間に目指さないのか。

と思うのですが、

それが背景やら、価値観やら、

色々とあるのでしょう。

 

それに、砂漠の多いイスラム諸国からすれば、

緑に憧れのイメージがあるのかもしれませんが、

日本は、普通に緑があるので、

この点も背景の違いを感じさせます。

 

 

 

もっとも、外国人にとって

日本の理解しがたい点も多々あるでしょう。

 

キリスト教式に結婚式を挙げ、

神社に初詣をし、仏教で葬式をする。

先祖供養(儒教)を行い、

クリスマス(キリスト教)、

近年ではハロウィン(キリスト教)も祝う。

 

なんて日本人は、無節操なんだ。

と思う外国人もいるかもしれません。

 

この件に関して、私はどう思うのか。

 

特に、肯定も否定もしません。

 

それこそが日本人的な意見なのかもしれません。

 

 

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仏教は、一般的に世界三大宗教に数えられています。

(他は、キリスト教、イスラム教)

 

しかし、この仏教、

宗教としては実に異質です。

 

そもそも宗教とは何か。

その定義について考えると

絶対的な存在である神を信仰する事にあると思います。

 

ところが仏教には、神という存在は出てきません。

 

だから、仏教は哲学だと言う人もいます。

 

 

 

一般人がその人生で望むのは、

大方、仕事があって出世して、

素敵な伴侶を得て、子供に恵まれる。

そして、美味しい食事を日々食べられる等。

 

仏教の開祖である釈迦は、

国の王子という身分から、

早くから、それら全てを手に入れました。

 

王子という特別な地位にいたので、

一般人が望むような事など、

どれも簡単に手に入るのです。

 

しかし、釈迦は、

それら全てを捨てました。

 

釈迦は、仕事や異性への関心を戒め、

執着しないように説きました。

 

通常の人が望む事の逆に行ったのが釈迦でした。

 

普通とは逆に行く釈迦の価値観の人生。

 

釈迦は、得てして教祖にありがちな、

自分の教えが広まらなければ、

人類は、救われないというような考えではなかったと思います。

 

釈迦の教えを学びたい人にだけ、

門戸を開いていたのだと思います。

 

 

 

日本は、仏教が広まりましたが、

釈迦が説いたもともとの仏教とはかなり違います。

 

それは無理からぬことでしょう。

インドで発生した仏教ですが、

日本に入る前に、中国を通します。

 

必然的に、中国の儒教、道教などの影響を強く受け、

当初の仏教とは、かけ離れたものとなってしまいました。

 

 

 

釈迦の教えの本質とは、

修行して、個として解脱を目指す事。

 

釈迦は、生前弟子に、

葬式や遺骨に関与しないように注意していました。

 

そして、崇拝すべき神がいないのだから、

偶像崇拝などなりようがないのです。

 

諸行無常、諸法無我の教えをみても、
そのような考えになるのでしょう。

 

しかし、日本では葬式仏教として、

日本の文化、風習として根付きました。

 

また、仏像と共に、

仏教が広まっていきました。

 

釈迦の教えの本質とは、

違った形で日本では仏教が広まりましたが、

釈迦は、この点をどう思うでしょうか。

 

恐らく、釈迦は教え自体にも執着せずに、

温かく見守ってくれているのではないでしょうか。

 

 

 

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