東は伊予灘、南は国東半島、西は周防灘、北は瀬戸内海を臨む姫島は、神代の昔、伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)が国生みの時に生んだと伝えられる『天一根(あめのひとつね)』・『女嶋(ひめしま)』とされる。

次生女嶋 亦名謂天一根
【次に女嶋を生みき。亦(また)の名(な)を天一根と謂(い)ふ。】
~『古事記 上卷并序』~

豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-姫島
伊美港より望む姫島


この『女嶋』(姫島)の七不思議のひとつ「拍子水」から程近いところに比賣語曾社(ひめごそしゃ)が鎮座している。

比賣語曾社

[御祭神]比賣碁曾神(ひめごそのかみ)
【阿迦流比賣神(あかるひめのかみ)】
[所在地]大分県東国東郡姫島村両瀬5118番地 [地図]
御朱印不明

豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-比賣語曾社1

御祭神の比賣語曾神【阿迦流比賣神】について『古事記』は、次のように伝える。


その昔、新羅(しらぎ)の阿具奴摩(アグヌマ)という沼のほとりに、ある賎民の娘が昼寝をしていた。

すると、そこに虹のように輝く日光が、その娘の女陰をさした。それ以来、娘は妊娠して、やがて赤い珠玉を生んだ。

その娘の様子を見て不思議に思い、ずっと様子を伺っていた賎民の男がいた。男は娘の傍に行き、その珠玉を譲り受け、いつも離さず腰につけていた。

ある日、男が谷間で田を営む耕作人たちの食料を一頭の牛に背負わせて運び入れようと、その谷間に入る途中、國主(こにきし)の子の天之日矛(あめのひほこ)【都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)】と偶然に出会った。

すると、天之日矛は男に、「なぜ、お前は食料を牛に背負わせて谷に入るのだ。きっとこの牛を殺して食べるのであろう」と話しかけてきて、すぐに男を捕らえて牢屋に入れようとした。

それで、男は「私は牛を殺そうとはしていません。ただ、耕作人に食料を届けるだけです」と答えたが、赦免されなかったため、腰につけていた珠玉を天之日矛に献上した。

すると、天之日矛は男を赦免し、珠玉を持ち帰り、床の端に置いた。珠玉は美しい姫に変わった。その後、天之日矛と結婚して正妻となった姫は、いつもさまざまなおいしい料理を用意して夫に食べさせた。ところが、天之日矛は心が傲慢になって妻を罵るようになった。それで姫は、天之日矛に「そもそも私は、あなたの妻となるべき女ではありません。私の先祖の国に帰ります」と告げ、ひそかに小船に逃げ乗って、難波に渡来して留まった。これは、難波の比賣碁曾社に鎮座する阿加流比賣神である。


又昔 有新羅國主之子 名謂天之日矛 是人參渡來也 所以參渡來者 新羅國有一沼 名謂阿具奴摩 自阿下四字以音 此沼之邊 一賎女晝寢 於是日耀如虹 指其陰上 亦一有賤夫 思異其状 恒伺其女人之行 故 是女人 自其晝寢時 姙身 生赤玉 爾其所伺賤夫 乞取其玉 恒裹着腰 此人營田於山谷之間 故 耕人等之飮食 負一牛而 入山谷之中 遇逢其國主之子 天之日矛 爾問其人曰 何汝飮食負牛入山谷 汝必殺食是牛 即捕其人 將入獄囚 其人答曰 吾非殺牛 唯送田人之食耳 然猶不赦 爾解其腰之玉 幣其國主之子 故 赦其賤夫 將來其玉 置於床邊 即化美麗孃子 仍婚爲嫡妻 爾其孃子 常設種種之珍味 恒食其夫 故 其國主之子心奢詈妻 其女人言 凡吾者 非應爲汝妻之女 將行吾祖之國 即竊乘小船 逃遁渡來 留于難波 此者坐難波之比賣碁曾社 謂阿加流比賣神者也

【また昔、新羅の國主の子(こ)ありき。名を天之日矛(あめのひぼこ)と謂(い)ふ。この人、參(まゐ)渡り來(き)ぬ。參渡り來ぬ所以(ゆゑ)は、新羅國に一(ひと)つの沼あり。名を阿具奴摩(アグヌマ)と謂ふ。此(こ)の沼の邊(へ)ある賎(いや)しき女(をみな)>晝寢(ひるい)したり。是<(ここ)に、日(ひ)の耀(かか)やき虹(にじ)の如く、其(そ)の陰上(ほと)を指(さ)しき。亦(また)、ある賤しき夫(をとこ)あり。其の状(かたち)を異(あや)しと思ひ、恒(つね)に其の女人(をみな)の行(わざ)を伺(うかか)ひき。故(かれ)、是の女人、其の晝寢せし時より姙身(はら)み、赤玉(あかだま)を生(う)みき。爾(しかし)て、其の伺(うかか)へる賤しき夫、其の玉を乞(こ)ひ取り、恒に裹(つつ)み腰(こし)に著(つ)けたり。此の人、田を山谷(たに)の間(ま)に營(つく)りき。故、耕人(たひと)等(ら)の飮食(をしもの)を一つの牛に負(おほ)せて、山谷の中に入(い)るに、其の國主の子、天之日矛に遇(たまさ)かに逢ひき。しかして、其の人に問ひ曰(い)ひしく、「何(な)ぞ。汝(な)が飮食を牛に負せ山谷に入る。汝れ必ず是の牛を殺し食ふにあらむ」といひて、即(すなは)ち其の人を捕(と)らへ、獄囚(ひとや)に入れむとす。其の人が答へ曰ひしく、「吾(あ)れ、牛を殺さむには非(あら)ず。唯(ただ)、田人(たひと)の食(をしもの)を送るのみ」

然(しか)れども、猶(なほ)赦(ゆる)さざりき。しかして、其の腰の玉を解き、其の國主の子に幣(まひ)しつ。故、其の賤しき夫を赦し、其の玉を將(も)ち來て、床の邊に置きしかば、美麗(うるは)しき孃子(をとめ)に化(な)りぬ。仍(よ)りて、婚(まぐはひ)して嫡妻(むかひめ)と爲(し)き。しかして、其の孃子、常に種種(くさぐさ)の珍味(ためつもの)を設(ま)けて、恒に其の夫に食(く)はしめき。故、其の國主の子、心奢(こころおご)りて妻(め)を詈(の)るに、其の女人の言ひししく、「凡(すべ)て、吾は汝の妻と應(な)るべきにあらず。吾が祖(おや)の國に行(ゆ)かむ」

即ち小船(をぶね)に竊(ひそか)に乘(の)り逃遁(にげ)渡り來て、難波(なには)に留(とどま)りき。此(こ)は難波の比賣碁曾社(ひめごそのやしろ)に坐(いま)す阿加流比賣神と謂ふ。】

~『古事記 中卷』~


その後、天之日矛【都怒我阿羅斯等】は、姫を追いかけて難波に到着しようとするも、海峡の神は天之日矛を遮って思うように船を進めることができなかった。それで、仕方なく但馬に戻り、そこでそのまま多遲摩之俣尾の娘の前津見と結婚し、子孫をもうけたとも伝えている。

また、『日本書紀』には、娘【比賣語曾神】は難波から「國前郡」【国東郡】に渡り比賣語曾社の神【阿迦流比賣神】となったと伝わる。これが、姫島に鎮座する比賣語曾社とされる。

所求童女者 詣于難波爲比賣語曾社神 且至豐國國前郡 復爲比賣語曾社神 並二處見祭焉
【求(ま)ぎし童女(をとめ)は、難波(なには)に詣(いた)り、比賣語曾社(ひめごそのやしろ)の神と爲(な)り、また、豐國(とよくに)の國前郡(くにさきのこほり)に至(いた)りて、復(また)、比賣語曾社の神と爲(な)りぬ。並(ならび)に二處(ふたところ)に祭(まつ)らるを見(み)む。】
~『日本書紀 卷第六』~

豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-比賣語曾社2
比賣語曾社の神殿


比賣語曾社のすぐ近くに『姫島七不思議』のひとつ拍子水(ひょうしみず)がある。比賣語曾神【阿迦流比賣神】が口をすすごうとした時、そのための水がなかったため天に祈り手拍子を打つと、岩の間から湧き出したと伝わる冷泉で。比賣語曾神【阿迦流比賣神】がお歯黒の後に口をすすいだことから「おはぐろ水」ともいう。

豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-拍子水
拍子水


泉質は炭酸水素塩泉(ph6.2[弱酸性])で、泉温は24.9℃。併設の拍子水温泉センター(姫島村健康管理センター)の源泉として利用されています。湧出量は測定されていないそだが、かなりの量が湧き出ている。


姫島には、拍子水のほかに「かねつけ石」や「逆柳」など比賣語曾神にまつわる伝説が今も残っている。瀬戸内海国立公園に指定される姫島。神代の昔から現在に至るまで「伝説の島」、そして漁業の街としてあり続けている。