大分県の佐賀関の南、「日本の渚百選」に選ばれる黒ヶ崎(くろがさき)のビシャゴ姉妹岩。この大岩は、早吸日女神社 の縁起にまつわるエピソードの伝わる御神域です。


豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-ビシャゴ姉妹岩
ビシャゴ姉妹岩


[所在地]

 大分県大分市佐賀関(大黒)[地図

[御祭神]

◎若御子神(わかみこのかみ)

 ・黑砂神(いさごのかみ)

 ・眞砂神(まさごのかみ)


速吸(はやすひ)の瀬戸、黒ヶ崎の景色に趣を添えるビシャゴ姉妹岩は、昔、ひとつの大きな岩でした。


 神代の昔、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は、禊祓(みそぎはらひ)をするための場所を探して、「粟門(あはのみと)」と「速吸名門(はやすひなと)」を訪れました。


 しかしながら、潮流が急速であったため「竺紫日向之橘小門之阿波原(つくしのひむかのたちばなのをどのあはきはら)」で禊祓をされました。


故欲濯除其穢惡 乃往見粟門及速吸名門 然此二門 潮既太急 故還向於橘之小門而拂濯也

【故(かれ)、其(そ)の穢悪(けがらはしきもの)を濯(すす)ぎ除(はら)はむと欲(おもほ)して、乃(すなは)ち粟門(あはのみと)及(およ)び速吸名門(はやすひなと)に往(ゆ)きて見(みそなは)す。然(しか)るに、此(こ)の二(ふたつ)の門(みなと)、潮(しほ)(すで)に太(はなは)だ急(はや)し。故(かれ)、橘小門(たちばなのをど)に還向(かへ)りたまひて、拂(はら)ひ濯(すす)きたまふ。】

~『日本書紀 卷第一』~


 時は流れ、高千穗宮(たかちほのみや)を出発された神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと)【神武天皇】の御船が、速吸名門の沖を通過しようとする時に、急に御船が進まなくなりました。


 神倭伊波禮毘古命が自ら海底をみそなわされると、かつて伊邪那岐神が海底に落とされたと伝えられていた御神剣を抱え持って守護しているオオダコを見つけられました。


 そこで、神倭伊波禮毘古命は、速吸名門の海女の祖、黑砂神と眞砂神の二柱の姉妹にオオダコから御神剣を受け取るように命じました。


 先に姉の黑砂神が速い潮流の海底に潜り、御神剣をオオダコから受け取りましたが、体力の限界を超えて潜ったためそのまま息絶えてしまいました。


 続けて、妹の眞砂神が海底に潜り、黑砂神の手から御神剣を受け取って、神倭伊波禮毘古命に渡すとそのまま息絶えてしまいました。


 その夜、神倭伊波禮毘古命の夢に姉妹が現れ、「ここを航海する船の安全は、私たちが守護します」と告げました。翌朝、激しい雷雨でこの大岩が裂け2つになりました。こうして、今も若御子神の姉妹は速吸名門【佐賀関の海域】の航海の安全を守護し続けています。


 神倭伊波禮毘古命は、この神剣を御神体とし、古宮の地に「祓戸神(はらへどのかみ)」【八十枉津日神、大直日神、底筒男神、中筒男神、表筒男神、大地海原諸神】を祀り、建国の大請願をたてられたと伝えられています。こうして現在の「早吸日女神社 」となりました。


 参考までに、禊祓の時、伊耶那岐神が身に着けていたものを『古事記』でみた場合、「御杖」・「御帶」・「「御嚢」・「御衣」・「御褌」・「御冠」・「左御手之手纒」・「右御手之手纒」があげられていて、『剣』がないことがわかります。「剣」がないのは、速吸名門で失くされた伊邪那岐神の神剣を大蛸が守護していたからなんですね。


 さて、「ビシャゴ」とは「ミサゴ」【鶚/雎鳩 [鳥綱] タカ目タカ科ミサゴ属 [学名] Pandion haliaetus】のことで、早吸門とは無関係ですが、『日本書紀』には次のように記されています。


至上總國 從海路渡淡水門 是時聞覺賀鳥之聲 欲見其鳥形 尋而出海中 仍得白蛤

【上総国(かみつふさのくに)に至(いた)り、海路(うみのみち)(よ)り淡水門(あはのすひなと)渡(わた)りたまふ。是(こ)の時に、覺賀鳥(みさご/かくかのとり)の聲(こえ)(きこ)ゆ。其(そ)の鳥の形を見さむと欲(おもほ)して、尋(たず)ねて海(うみ)の中(なか)に出ます。仍(よ)りて白蛤(うむき)を得たまふ。】

~『日本書紀 卷第七』~


 この「覺賀鳥」はミサゴで、「白蛤」はハマグリのことです。ミサゴは、水中に潜って魚や貝を捕るタカ目の鳥として古来より知られ、海女の姉妹である黑砂神(いさごのかみ)・眞砂神(まさごのかみ)の姿を連想することもできます。「ビシャゴ姉妹岩」という名称も「ミサゴ」と関係があるようにも思えますね。


 古来より潮の流れが速い「速吸門」に面し、海女による漁業や水産業が盛んだった佐賀関。現在は「関さば」・「関アジ」の産地として知られる漁業の街です。この地方の漁業と航海の安全を守護する神として信仰され、親しまれてきた場所のひとつです。