古くは『宗像八幡社』とも称され、豐前國上毛郡炊江郷(とよくにのみちのくちのくにかみつみけのこほりかしきえのさと)に鎮座する大富神社(おおとみじんじゃ)は、奈良時代以降、宇佐使【宇佐神宮への勅使】が宇佐神宮に参詣するときの宿泊地としても利用されていました。境内には、それに関連する「勅使井(ちょくしゐ)」が残っています。


豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-大富神社⑦
大富神社の本殿


[所在地] 福岡県豊前市大字四郎丸字甫起山256番地(地図


[御祭神]

 東殿【宗像神社】…往古、「宗像三女神」の神託により鎮座

  ・田心姫神(たごりひめのかみ)

  ・湍津姫神(たきつひめのかみ)

  ・市杵嶋姫神(いちきしまひめのかみ)

 中殿【大富神社】…白鳳元年(671年)、「住吉大神」の神託により鎮座

  ・表筒男神(うはつつのをのかみ)

  ・中筒男神(なかつつのをのかみ)

  ・底筒男神(そこつつのをのかみ)

 西殿【八幡大神坐】…神護景雲3年(769年)以降に鎮座

  ・品陀和氣命(ほむだわけのみこと)【應神天皇(おうじんてんのう)

  ・帶中日子命(たらしなかつひこのみこと)【仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)

  ・息長帶日賣命(おきながたらしひめのみこと)【神功皇后(じんぐうこうごう)

 脇殿【東脇殿】

  ・齋主神(いはひぬしのかみ)【經津主神(ふつぬしのかみ)/布都御魂神(ふつみたまのかみ)


豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-大富神社①  豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-大富神社②  豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-大富神社③
大富神社 本殿の扁額

 大帶日子淤斯呂和氣命(おほたらしおしろわけのみこと)【景行天皇(けいこうてんのう)】の御宇、天皇が土蜘蛛の征圧にあたり、この地を訪れた時、眞早(まはや)という人への神託により「宗像三女神」を祀ったのが始まりと伝えられ、およそ1900年前まで遡ります。


 さらに、白鳳元年(671年)には、豐前國山田庄長の横武氏への神託により「住吉大神」がお祀りされました。


 天平12年(740年)9月に端を発する、北部九州の大戦乱、「藤原廣嗣(ふぢわらのひろつぐ)の乱」【板櫃河(いたびつがは)の戦い】の砌、豐前國上毛郡義大領の紀宇麻呂(きのうまろ)が戦勝祈願をしたとされ、現在の大富神社春季大祭【通称、八屋祇園】は、戦乱の終結後の紀宇麻呂の凱旋を模したものといわれています。


 天平神護3年(769年)10月、宇佐神宮の神託の真偽を確かめるため宇佐に派遣された和氣清麻呂(わけのきよまろ)が、宇佐に向かう途中の路上から大富神社を遙拝したとも伝えられています。


 これ以来、大富神社は、宇佐神宮への勅使【宇佐使】の宿泊地として利用されるようになりました。境内には、この時、勅使が炊事や茶湯に利用したと伝えられる「勅使井」が残っています。また、奈良時代以降になって八幡大神がお祀りされ、現在の大富神社となりました。


豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-大富神社⑥

豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-大富神社⑤  豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-大富神社④
大富神社 勅使井

 現在でも、宇佐神宮への勅使が遣わされるにあたっては、宇佐神宮へ「勅使井」の水が祭事用の御神水、お茶湯の水として献上され続けています。


 神護景雲3年(769年)、和氣清麻呂が宇佐神宮に向かう途中、大富神社を遙拝したと伝えられる地は、「伏拝野」と称し、「拝みの松」とよばれる松が植えられています。国道10号線沿いで駐車場は設けられていません。(写真は後日掲載予定)


【拝みの松】

[所在地] 福岡県豊前市大字四郎丸字伏拝野(地図

※駐車場なし


 この「拝みの松」より約1㎞先に大富神社があります。奈良時代の頃、地方官道(後の「勅使街道」の一部)の跡として、昔を偲ぶことができます。現在、大富神社の社叢のすぐ西側では、東九州自動車道の建設がすすめられています。完成する頃には、また違った景色になるのでしょうね。