平安時代末期の昔、大分県中津市の山国川の三口大井堰(みくちのおおいぜき)にまつわる伝承に起源をもつ『鶴市花傘鉾祭』(つるいちはなかさぼこまつり)、『鶴市さま』の愛称でも知られる、八幡鶴市神社(はちまんつるいちじんじゃ)の仲秋大祭が今年も厳粛に執行されました。今年(2009年)で874年を数える、神さまになった鶴と市太郎の母子の慰霊と水の恩恵への感謝、五穀豊穣を祈願する祭りです。


 初日の午前9時過ぎに八幡鶴市神社を御発輦された祭神の布留野鶴女姫命(ふるのつるめひめのみこと)と布留野市太郎命(ふるのいちたろうのみこと)を乗せた1基の神輿と19基の花傘鉾(はなかさぼこ)は、沖代平野のおよそ40㎞の道のりを巡幸し、午後10時頃に八幡鶴市神社に程近いところにある、大分県中津市と福岡県築上郡上毛町の両岸を結び、山国川に架かる恒久橋(こうきゅうばし)の河川敷に設けられた三口河原仮宮(みくちのかわらのかりみや)に御着輦されます。


豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭② 豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭①
鶴市八幡神社と三口の河原の仮宮参道


八幡鶴市神社(はちまんつるいちじんじゃ)

 [所在地]

  大分県中津市大字相原


 [御祭神]

 推古天皇の御宇(593~629年)

  速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)、速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)

 貞元2年(977年)に宇佐神宮より勧請祭祀 

  八幡大神(はちまんおおかみ)

 保延元年(1135年)

  布留野鶴女姫命(ふるのつるめひめのみこと)、布留野市太郎命(ふるのいちたろうのみこと)


[経緯座標]

  北緯:33度33分54秒/東経:131度11分23秒


三口の河原(仮宮)

 [経緯座標]

  北緯:33度34分7秒/東経:131度1分10秒


豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭④
三口の河原の鶴・市太郎


【鶴市傘鉾祭のはじまり】

 平安時代末期、沖代平野には宇佐神宮の神領としての荘園が広がっていました。沖代平野の一千町歩八千石にも及ぶ広大なものでした。この荘園の灌漑用水と利用するため設置された相原(あいわら)の三口の大井堰は、毎年のように山国川の洪水によって決壊を繰り返していました。

 保延元年(1135年)、沖代平野の地頭7人【湯屋弾正基信(ゆやだんじょうもとのぶ)、藍原内記(あいわらないき)、萬田左京(まんださきょう)、宮永佐兵衞(みやながさへい)、中臣八郎(なかとみはちろう)、一松六郎(ひとつまつろくろう)、小畑四郎(おばたしろう)】が集まり対策を協議しました。

 その結果、人柱(ひとばしら)をたてることで同意し、7人の地頭全員が人柱に立候補しました。そして、それぞれ船の上から袴を山国川に流し、最初に沈んだ袴の持ち主が人柱に立つことになりました。

 袴を山国川に流した結果、人柱は湯屋弾正基信に決定しました。弾正は袴に石を潜ませて流したといわれています。直ちに湯屋弾正は一室にこもり、七日七夜の斎戒断食をしていると、家臣の布留野源兵衞重定(ふるのげんべえしげさだ)の娘の35歳になる鶴(つる)が「先祖の恩を報いるのはこの時、私が身代わりになります」と申し出ました。すると、その子の13歳になる市太郎も「わたしも母と一緒に身代わりになります」と申し出ました。2人の決意は固く一歩も譲らなかったといいます。湯屋氏の決意も固く譲らぬところでしたが、鶴と市太郎の固い決意に負け、ついには湯屋弾正基信も受け入れました。

七日七夜の沐浴断食の後、白無垢に身を清めた鶴と市太郎の母子は、旧暦8月15日、仲秋の名月の日、御輿に乗り三口の河原に到着すると7人の地頭と杯を交わし、人々の見守るなか静かに入水しました。そして、鶴と市太郎が沈んだ水底から金色の鳩が飛び立ち、相原の八幡神社に飛び去りました。そこで、2人は八幡神社に合祀され今の八幡鶴市神社となりました。鶴と市太郎の霊を慰め、五穀豊穣の祈願と水の恵みに感謝する祭りとして鶴市花傘鉾祭がはじまりました。



豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭⑭
現在の三口の河原の大井堰

豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭⑥  豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭③
腰掛け石と鶴市太郎二霊人柱記念碑

 鶴市神社の境内には、鶴・市太郎の母子が座ったと伝えられる石が残っています。2人は、どんな思いでこの石に座っていたのでしょうか?この石は「腰掛け石」(こしかけいし)とよばれています。


 三口の大井堰を灌漑用水として用いる沖代平野の19ヶ村【下池永、上池永、金手、牛神、一ッ松 、東浜、宮夫、大塚、蛎瀬、南高瀬、万田、相原、永添、北高瀬、上宮永、下宮永、中殿、島田、湯屋】の花傘鉾と神輿は、およそ250m、約500人にも及ぶ大行列となります。中津市に広がる平野のほぼ全域に及ぶ広大な地域で執行される祭りです。


2日間の主な日程は以下のとおり。

【第1日】

 本宮祭(8:30)、本宮御発輦、三口河原行所御着輦(22:00)

【第2日】

 安宮祭(19:30)、花火大会(20:00)、御輿出御・川渡り神事、本宮還御、花傘鉾太鼓囃子競演


豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭⑫  豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭⑪

豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭⑧  豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭⑩

豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭⑨  豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭⑦
中津市内を巡幸する花傘鉾の行列

豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭⑬  豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-鶴市花傘鉾祭⑤
中津市内を御神幸する二霊の神輿と一足先に仮宮に御着輦された三柱の神々の神輿


豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-三口河原御着輦② 豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-三口河原御着輦①
三口河原行所で御着輦を待ち受ける花傘鉾

豊の散歩道 ~豊国を歩く~ Toyo no Sanpo-michi-三口河原御着輦③
三口河原行所に御着輦した神輿


 夏から秋へと季節が移ろう頃、沖代平野の青田が広がる道を神輿と花傘鉾が御神幸する「八幡鶴市神社 仲秋大祭 花傘鉾祭」は大分県指定無形民俗文化財です。水の恩恵、生命の尊さ…。現代人も決して忘れてはいけない「恩恵」と「つながり」への感謝。この祭りの起源と意味を振り返ると、改めてその大切さを感じざるを得ません。毎年、8月の第4土・日曜日に執行されるこの祭りは今年、8月22日と23日の2日間、中津市の街中を美しく飾り歩きました。人柱となり神になった二霊の住居があった地区の地名に「鶴居」(つるい)、7人の地頭の姓のうち6人の姓は、それぞれ湯屋(ゆや)、相原(あいわら)、万田(まんだ)、宮永(みやなが)、一ッ松(ひとつまつ)、小畑(おばた)の地名となっています。