おはようございます。

 

ユニクロのセーターを「新品未使用」でメルカリで検索をかけ、根こそぎ買い漁っている重本孝です。

 

#食べ物と本以外にお金をかけることがないつまらん男です苦笑

 

 

 

 

#リブログありがとうございます!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

本日はドロッドロのこってりスープMAXチャーシューキムチトッピング麺バリカタな内容でございますので、受験情報だけプリーズ!の方はまた明日以降よろしくお願いいたしまーす。

 

 

 

Xのポストを見て考えた生徒さんを注意するときに愛情よりも何億倍も大切なこと。

 

 

昨日Xにて、予備校講師をされている方の以下のポスト↓が流れてきて考えさせられたことを今日は書いてみようと思います。

 

 

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#校舎長が超かわいそうな気がするんですけど予備校ってこれふつうなん?


 

 

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個人的に思うになのですが、というか私の器がおちょこレベルだからなのですが、基本それがどれだけ的を射た内容であっても、誰かから感情的に注意されたら少なくともその瞬間はムカつく他ありません。爆


#心に湧き上がるのは謝意ではなく殺意


ただ、、、、、それが何年か経った後に「あのときのアイツのあれは今思い出してもマジで腹立つ!」っていうのもあれば、反対に、今思うとあんな言いにくいことをよく直言してくださったな・・っていうのもあったりします。

 

そして後者についてはやはり今振り返っても私のことを日頃から見てくださっている先生や先輩方からのものなのであり、一生感謝の気持ちは消えません。

 

なのでまず怒られるか叱られるか注意されるかなんかで「むちゃくちゃ腹立つ」気持ちや、「いや〜・・あのときあれ言ってもらってなかったらと思うとマジでゾッとするわ・・」っていう気持ちなどは想像できる気がしています。

 

だから思うに、まず叱ろうが注意しようがそこに愛情云々というのは受け手側の問題なので、叱った側が「愛情が・・」云々を言うのは個人的には叱った側が自己を慰める言霊として唱えるものであると思ってます。

 

 

そんなことよりも私がいつも思うのは、やはり「叱る」とか「注意する」とかみたいなのは、まず発動する側からすればめちゃくちゃダルい行為なんですよ。。。

 

だってそれってやられる側ももちろんそうなのですが、やる側も感情としてはやはり「負」だし、少なくとも私は人から嫌われるのは嫌なので。マジで。

 

だから私は生徒さんを注意するとき(年間片手で数えるくらいですが)っていうのは正直気持ちの内としては、サービス提供者ということもすっかり忘れて、いち人間として「・・これ気づかんってマジ!!??」とか「今までこの子のこういうところを注意する人って誰もいなかったん??????ウソやろ・・・」みたいにはなってます。

 

#愛情とかそんな余裕無ぇ〜・・爆

 

 

まあ、確かに注意するとかされるなんていうのは無いにこしたことはないですし、言うまでもなく注意してる側がミスってる場合も私は珍しくないとは思っていて、とにもかくにもシンプルマターではないよね、、、っていうのはあります。

 

 

以上のようなことをグダグダ思いながらも、くだんのポストを読んで実は一番思ったのは、まがりなりにも先生と呼ばれる立場で生徒さんに注意する、および叱ったりするときに大切なのはやはり愛情云々とかではなく、注意する側の十二分な思慮(何らかの緊急時除く)を重ねた上での「絶対そういうのやめた方がいいから!」っていう強い信念だと私は思います。

 

 

やや話が横道に逸れるのでありますが、私は無名時代の小室哲哉さんが渡辺美里さんの次の新曲として「My Revolution」を渡辺サイドにプレゼンしたときの話が大好きで、その好きな部分っていうのが、音楽番組のインタビューで「当時、渡辺さんにどういう気持ちで自分の曲を持って行ったのか?」と問われた小室さんが「『これで間違いないはずだから。』って思ってました。」って話されてたところなんです。

 

私は作曲だけに関わらず、教室創りだろうが、授業の提供であろうが、表現者というのはそれくらい、、、、つまり「これで間違いないはずだから!」「絶対こうした方がいいから!」ていうくらい自分の発信には強い信念を伴うのがふつうだと思ってます。

 

誤解を解いておくと、もちろん結果的にはそれは何年か後に「間違ってた。」とか「あのときもっとこういう伝え方をすればよかった。」とか「今思うとあんなこと注意しなくてもよかった。ホンマにあのときのあの子に謝りたい・・・」なんてことはいくらでもあります。

 

#私の場合は謝りたい子だらけです..泣

 

 

しかし、少なくともそのときの自分としては、例えば生徒さんに注意したり叱ったりを止むに止まれずする場合っていうのは、「絶対そういうとこ直したほうがいいよ!」とか「絶対に今からこういう習慣つけといた方がいい!」っていう信念めいたものがあった方がいい・・・・っていうか、すいません、ないとダメだと私は思います。

 

あとはそれが生徒さんにどう伝わるかというのは、、、、、ぶっちゃけこれ若い先生には絶対知っておいて欲しいって思ってるんことなのですが、私は愛情とかじゃなくてシンプルに先生という職業の場合はスキルの問題だと思います。

 

どうすれば一番自分が伝わって欲しいように伝わるかっていうのは信頼関係構築や日頃の自分の見せ方に始まる、もう全部スキルです。

 

 

ですから私もこれまで、特に若い頃は何度かありましたが、生徒さんに注意したことに対してお家の方からクレームが来るっていうのは地域性とか担当する生徒さんのレイヤーも確かにあるのは分かるのですが、でもやっぱりスキル次第で結果は全然変わってくるかなと思います。

 

だからくだんのポストのように「めんどくさいから保護者との面談は拒否した。」っていうのは、まず事後処理を校舎長に押し付けている点でびっくりだし、どうせ居眠り(おそらくその態度も悪かったんだと推察される)を「注意した」のであれば、ちゃんと「君は自分が真剣に話しているときに目の前で今日君がとったみたいな態度を取る人に好感が持てるか?その後も真剣に応援したいと思うか?どう思う?」と聞いた上で、やはり人の話を聞く態度っていうのは今後の人生における最低限のドレスコードのうちの1つで、せっかく難関大に入ってもそんなとこで失点を重ねるレベルの人間になったら台無しだと自分は思ってるんだけどそれについては君はどう思う?と、相手をできるだけ怖がらせずに、しかし内心では「オレは絶対そんなとこで失点しない方がいいと思うぞ!」っていう信念を持って語りかけた方がいいというのが私の意見です。


#同じようなことを言ったのかもですが


少なくとも自分が信念を持って伝えたことにクレームが来たくらいで話し合うこともせず他者に任せて引くっていうのは意味が分からないし(校舎長かわいそう..)、これは学校でも塾でも生徒さんに注意したいことを時代のせいにしてなんでもかんでも我慢するんじゃなくて、どうしても伝えたいことはちゃんと伝えて、そしてそれが伝わるように己のスキルを磨かかないといけないと考えます。


せめて最低限そこまでやる人間でないと愛情云々を言ってもそれこそ誰にも伝わらんなと。


#みんなめっちゃ「いいね」押してるけど..




今日の記事は特に重本臭がキツいので、同業の方で異なる意見の方もおられるでしょうし、保護者様で「きっしょ・・」っていうのもあるかもしれませんが、とりあえず冒頭のポストからそんなことを思ったよ、、、っていう話でございました。

 

#とりあえず予備校の校舎長ってマジで業務内容キツイやんっていうのが実は一番の印象だったりもする

 

 

 

 

 

本日は以上です。

 

 

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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