おはようございます。

 

ゲリラ豪雨の雨音に眠りを誘われながらブログを書き始める重本孝です。

 

#今日は晩は授業がないので体力的には余裕です

 

 

 

 

エゲつない自習量をこなす人の内側で起こっていること。

 

個人的に言語化できないレベルで何かを感じる体験って結構人生を左右することがあると思っていて、しばしばそれは人間を1つの方向に向かわせる大きなエネルギーになったりします。

 

毎年いろんな受験生を見ていて「全員がこんな受験生になってくれたら仕事がどんなに楽か・・・笑」と思わせてくれるようなモーレツな受験生ってホントになんとも形容しがたい“活力”というか“勢い”みたいなのがあるんですけれども、それもこれも根底には先述のエネルギーがあるからに他ならないと思います。

 

ではそのエネルギーの正体とは何か?というと、それはシンプルに何かに感動して、それに憧れを抱く気持ちなんじゃないかとここ数日よく思っています。

 

 

 

先日、私は甲子園球場へ高校野球を見に行ったわけですが、その際、改めて「幼い頃の自分は、生まれて初めて見た甲子園での高校野球で『自分もこんなところで野球がして見たい!』と単純に感動したことがキッカケでその後10年間学生生活の大半を野球に費やしたんやな〜・・」と客観的に理解しました。

 

そして社会人として、その後この仕事にのめり込めたのも、良い先輩に囲まれ、ある日、高いレベルを目指す生徒さんを相手に、そこへ導こうとする熱のこもった授業を先輩が展開する光景に、「自分もこんな仕事がしてみたい」と感動したのがそのキッカケだったように思います。

 

 

今これをお読みの大人の方はいかがでしょうか?

 

「確かにアレにはのめり込んでたな〜・・」

 

といった取り組みって、のめり込むその手前でなんらかのカタチで大なり小なりの“感動”が起こっていたということはないでしょうか???

 

 

 

私が運営する究永舎では毎年朝の7時、8時から自習室に入って晩の22時過ぎに帰っていく受験生の子たちがいるのですが、そうした行動が取れる人と、今ひとつそこまでになり切れていない人との違いって、当然1つの原因に限らないとは言うものの、

 

「ここの大学(高校)で過ごせたらいいな〜」

 

といった、何がしかの感動を起点とする、心の中における“憧れ”の有無がだったりするのではないかと私は思います。

 

 

意図的に何かに憧れる・・というのは無理があるため、「志望校合格のためにまずは憧れよう!」というのは現実的でないのですが、それでもそういったことが大切な要素なんだと大人側が知っておくだけでも子どもや生徒さんへのアプローチに違いは出せるのではないかと思います。

 

 

早いもので夏休みも来週で終わりですが、高校生なんかは純粋な感動体験を求めて一人であっちやこっちの大学を散策しに行ってみたりするのも良いのではないでしょうか。

 

 

 

本日は以上です。

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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