おはようございます。
謎の左腰痛に襲われている重本孝です。
#動きが93歳。
開拓者たち。 〜2人目〜
一昨日はまず14時過ぎ頃に、10年半ぶりに卒業生の子との再会、そしてその子の見た目のお姉さんぶりへの変貌(15歳→26歳!)、極めつけは公認会計士合格の知らせに驚き過ぎて・・・
・・みたいになったんですけれども、その日はそれに留まらず、今度はこれも私の塾講師人生初だと思うのですが、なんとなんとまさかの退塾した生徒さんが教室を訪ねてくれたんですね。
その子は事前に17時半に来校してくれる約束をしていたのと、会わなくなってからそんなに時間が経っていないので、時間になって来てくれた段階では特に「舞いあがれ!」になることはまだなかったです。
で、ここで1つ情報としてお伝えしておかないといけないことは実はその子は高校を2年の1学期で辞めちゃっていたのですね。
公立の第一志望として合格したのですが辞めちゃったのです。
なので塾もそのタイミングで辞めちゃったと。
塾講師を長いことやっておりますと、これまでも学校を辞めちゃった子(もちろん同時に塾も)はいたのですが、やはりそこは塾の先生の限界で、その後その子たちがどうなったのかっていうのは私の場合は誰1人として知る子はいません。
しかし今回の子はしばし雌伏の時を経て(通信制に通っていたそうです)、この度なんと最初のアポ電の段階で「次の進路が決まったので直接報告したいです。」と。。。
#ただの塾の先生なんかに
#律儀過ぎ〜(泣ける..)
はたして時間通りに現れた彼女が選んだ進路とは・・・
重本「・・・・・・・・・・で、、どうすんの??」
生徒「来年カナダのトロントの大学に行くことになりました!」
重本「へ〜、トロ大か〜、って、
tərɑ'ntou!!!????
」
生徒「はい。笑 トロントです。笑」
重本「ト、ト、ト、、、」
生徒「笑」
重本「て言うか、ちょっと遠ない?1限間に合う?」
生徒「間に合わないので向こうに住みます。笑」
重本「笑」
#たった1日で情報量多過ぎ〜
その後は彼女がなぜ高校を辞めるに至ったのかや、次の進路の方向性を定めるきっかけ、その準備で初海外としていきなり1人でフィリピンに留学して、まさかのそこでコロッてしまって隔離されたこと、ルームメイトのベトナム人がしょっちゅう電話相手と口論になってやかましかったこと、トイレットペーパーがあちらでは流すのは禁止でそばのゴミ箱に捨てるためどエラい環境になっていたこと、彼女が思う日本に無くてカナダにあるもの(ある社会課題に対するそれぞれの文化態度)、そしてその後の展望などなど・・・を教えてくれました。
日頃の行動半径が500mと幼稚園のチビッ子たちよりも It's a small worldで暮らす41歳の貧乏塾講師にとっては全ての話題が新鮮で楽しかったです。
そして何より、昨日の記事の子同様、彼女が元気そうで、重本をたずねてくれたことがめちゃめちゃ嬉しかったです。
いや〜・・たった数時間の間で「卒業生の子との10年半ぶりの再会」と「退塾した子が会いにきてくれた」の塾講師としての初体験2本立てでしたが、その日はひたすら「あ〜よかったな〜」と花*花状態で(今の子分からん)、まるで加賀屋の露天風呂で日本海を眺めながらじっくりその湯船につかってるかのような心持ちでした。
#昔社員旅行で連れて行ってもらった
また、さらにその後の授業でテストの結果報告をしてくれた中2の子の点数もめちゃ上がってたので、ますます、良い意味で「やれやれ・・」と。。。
そんなこんなで、結局、自分の「意志」を発揮してその歩みを進めるのが一番力も発揮できるんだろうな〜・・と改めて感じ入った次第です。
一昨日たずねてくれた2人とも、引き続き、私の大好きな
I run best when I run free.
(自由に走るのが最速だ)
の精神を持って大人になっていって欲しいですね。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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