おはようございます。

 

昨日、文理学科の子が学校が休みなのに間違えて登校してしまい、そのまま9時半に自習室にやってきたみたいな話を書きました。

 

 

ええ〜・・・、私も昨日の授業前に気づいたのですけれども、、、、、、じ、、、、実は・・・・

 

 

 

 

年度の最初やご入塾の最初にお渡ししている年間スケジュールによると10日(月)〜12日(水)の授業はお休み設定になっていた・・・・という・・・・

 

 

#みんな普通に来てた

#先生もふつうに授業した

#テスト終わった当日の

#豊高生のみんなマジごめん

#誰か教室管理して!

#年間スケジュールとは

 

 

まあ・・・アレです、、、休みいうの忘れるくらい仕事を好きになりなさい的なのを身をもって示せたのかなと。(白目

 

#自分でもビビった

 

 

 

 

勉強して損はない、とは限らない。

 

 

先日ツイッターにて

 

「勉強して損はない」

 

ということを発信されている塾の先生がおられました。

 

 

私は、この一見「そりゃそうだ。」で終わってしまいそうな一言に天邪鬼が発動し、1人で心の中で「なんかコレって違和感あるな〜・・」「コレはどういう違和感なんやろ・・」ということをビアードパパさんのシュークリームを食べながら考えておりました。

 

 

それで思うのは、まず受験の知識って多くの人は半年から1年も経てばほぼほぼ忘れてしまうということです。

 

昨日も高2の女の子が数学を頑張っていて、私が「家帰ったら阪大の兄貴(卒業生で現在4回生)に聞けるからエエな。笑」と言ったら、その子は「聞いても『もう忘れた』とか言って全然教えてくれません。苦笑」という感じのことを言っておりました。

 

そんなものですよね。

 

 

つまり子どもはまだしも、見守る側の大人は心のどこかで「志望校目指して頑張れ〜」と思いつつも、また別の心のどこかでは冷静に“受験勉強”というものの価値を評価しておかないといけないな〜・・と思っておる次第です。

 

 

 

 

 

 

過去に何回かこちらでもご紹介したのですが、

 

 

 

の中で、中田さんの

 

 

世の中には2種類のバカがいる。

 

1つは勉強を全くしなかったバカ、そしてもう1つは勉強しかしなかったバカだ。

 

 

・・・みたいなフレーズが忘れられないのですが、これってホントにそうだなっていうのが塾業界にいたら、個人的にめちゃめちゃ感じるんですね。(どう感じるかっていうのはご想像にお任せします)

 

 

 

 

また話は飛ぶのですが、先日ネットで、大阪桐蔭高校の野球部で現在新チームの主将を務める前田君(現高2)がこないだの甲子園でインタビューに応えている動画を見つけたのですが、もしよかったらここで1度彼のふるまいをご覧になってみて下さい。内容(もちろん野球の試合の)はよく分からない方でも、ほんの触りの数秒だけでもご覧頂けると、以下で私が言いたいことが伝わり易いかと思います。

 

 

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前田悠伍選手のインタビュー

 

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いかがでしょうか。

 

 

 

おそらくいいオッサン・オバサンになってから複数の高校生・大学生(若者)と接する機会のある方なら、彼が単に野球が将来プロに入れるレベル(2年生の今年でも上位指名レベルと言われている)とか、そんな次元をはるかに超越した対人レベルにあることがお分かり頂けるかと思います。

 

#高2ってこんなんじゃね〜・・

 

 

もちろん私は彼の日頃のキャラクターや勉学面などは分かりません。少なくとも大阪桐蔭という進学校の中においてだけで見ても、一般受験で入学して進学コースに在籍し、彼より日がな勉強している高校生はたくさんいると思います。

 

ただ確実に言えるのは、話しかけた最初の返事の

 

「はい。」

 

だけで、野球とは関係無しに、(おこがましくも)私なら心の人事部が「採用」を出すのは間違いありませんし、少なくとも私の周りで人を採用する立場にある先輩・後輩諸氏もおそらく同じ印象を抱くのではないかと予想します。

 

 

要は結局、どんな世界でもまず対人という局面で、(再度使用するのですが)相手の“心の人事部”を突破しないことにはそもそも能力を発揮する機会すら与えられなかったり、その後の自身のパフォーマンスに下される評価にもだいぶ影響はあると思います。

 

 

で、例によってまた自分がこんなニワトリみたいな頭をして言うのも何なのですが、その“対人”って結局“客観性(想像力)”に比例すると私は思うんです。

 

 

やや雑なまとめにはなるのですが、私は結局、学校も、受験勉強も、部活、遊び、恋愛その他諸々、10代の頃のそれらって、客観性を身につけるため、つまり「ああ自分ってこう思われたりするんだな」「こんなのがウケるんだな」「こんなことすると嫌われるんだな」「こういうところは人よりできるかもな」「こういうのができてないな」「こんな言動取ってたら信頼残高下がるな」「こんな言動取ってたら“応援シロ”がないと思われるな」etc... を経験し、そうやってそれらを対人データとして蓄積するためにあると考えてます。

 

だから逆に言えば、勉学や部活というのはそれらを磨くためのツールであり、志望校合格や全国大会出場などは副産物に過ぎず、親元を離れたとき(近年子供部屋おじさん・おばさんも増えてるらしいですが)に他者に混じってやっていける仕上がりになっているかどうかが身につけるべきメインのところなのではないでしょうか。


塾講師という仕事を20年以上していて、幼い頃から勉強に偏り過ぎると対人用の客観性を磨くチャンスが少なくなるイメージがあります。


こんな頭して言うのもなんですが。


#と言っとけば許されるってマジ?



 

そうした意味で、最初の「勉強して損はない」のフレーズを大人が原理主義的に解釈し、それによって偏差値的指標を過大評価し、それ以外の部分を甘く見積もるということはないようにしたいなと思ってます。

 

要は明文化されていないことを身につけることが大切で、教科書・参考書に書いてることを頭に入れてるだけでは無理ゲーということですね。


#参考書持って挑んだんじゃ

#一生謎は解けぬ


 

ですから厳密に言えば、成績面においては「勉強しないこと(点数が悪いこと)」よりも「客観的に自分を見れてないこと(その結果になるべくしてなってることが分かってないこと)」が一番の問題だと個人的には思っていて、だからこそ「強制的にやらせる」は客観的に自分を省みる機会を大人のエゴで潰しているという点で悪手中の悪手だな〜と思ってます。

 

教室でも言うのですが、なんでその点になってるか分からんというのが一番ダメ!って感じのスタンスです。

 

#何点がいいかっていうのは個人の自己満足

 

 

 

真面目な話を長くし過ぎてごめんなさい。

 

 

読んで下さってありがとうございまーす!


#好きです

 

 


 

ではまた。

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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