おはようございます。

 

本日も1日中教室に引き籠っていたため引き続き所持金277円の重本孝です。

 


 

自分の欲求を把握できる人になる。

 

塾の先生というのは「生徒の成績を上げなければ!!!」と当然考える生き物だと思います。

 

 

ただ、私の場合は少し違います。

 

私はまず生徒さんに対して「果たしてこの子はどうしたいんだろう?」ということを常に意識します。

 

要は生徒さんの欲求(「君はどうしたい?」)を知りたい、、、というか、それを発揮して欲しいと思うのです。

 

 

 

 

 

 

例えば、宝くじで1億円が当たってることに気づいて、期限まであと15分というところで慌てて銀行へ換金にやってきたところ、銀行の入り口で転んで腕を折ってしまったとします。

 

その際、みなさんなら激痛に耐えかねて1億円を諦め、行き先を病院に変更するでしょうか?

 

たぶん鬼の形相で痛みをこらえつつ、ラクダか!?いうくらいにアブラ汗を垂らしながらまずは1億円の換金を目指すのではないでしょうか。

 

また他に、単語の暗記が苦手な子が同じように宝くじに当たって銀行に換金にやってきた際、受付の人からこの宝くじは今から30分で英単語を100個新規で丸暗記しないと換金できませんとか言われたとしたら「あああ、じゃあ、俺英語苦手だから無理だわ・・」となるでしょうか。

 

おそらくこれまた鬼の形相と集中力で英単語を覚えるでしょう。そして覚えられるでしょう。

 

 

このように人間が力を発揮するためには個人の欲求というものが非常に重要になってきます。

 

ですから個人的な感覚では、いかに生徒さんに欲求を発揮してもらうか?というのが成績向上への一番の王道ということになります。

 

ここまでを読まれて「じゃあその子どもの欲求はどう引き出すか?」って発想している間はなかなか上手くいかないのが難しいところです。

 

 

まあ、それはさておき、ここまでは塾講師として単に求められる成果をいかに挙げるのかという言わば自分の打撃理論めいた話だったのですが、私がこのような考え方をする理由がもう1つあります。

 

それは個人的な幸福論として、「幸せになるためには自分の欲求を理解する必要がある」というのがそれです。

 

 

昨今若者のみならず、SNS文化も相まって、多くの人が「いいね」集めに奔走しているよと。

 

#「いいね」するなら金をくれ



で、その文化自体は何ら問題ないはずなのですが、問題となるのは、本来の自分の欲求を見失ってしまうことであると私は思います。

 

学歴などもその際たるもので、本来学歴など万人に必要なものだと私は思いません。


#ホントは慶応卒って言いたかった



ともすれば、そうした有形無形の「いいね」への意識、つまり他人から得る評価の有無への強い意識は、結局自分の幸福を他人に委ねることになりはしないでしょうか。

 

簡単に言えば「他人から評価されるか否か」に振り回される状態ですね。

 

 

 

いやはや確かに社会に出れば他人から評価されなければ生きていけない側面もあるかと思うのですが、それはあくまで学歴や所属団体や年収などの相対的な「いいね」ではなくて、自分の中の絶対的な「これ良くないすか?」が受け入れられ、支持されるところに生きる喜びや快感、しいては幸福感があるのではないでしょうか。

 

もっと言えば、例えば農地の耕作や釣りが大大大好きで、それをしている限り自分は幸福だなんて人は、他人からの評価などなくとも幸せに生きていけるのではないでしょうか。

 

 

結局、人は自分が幸せな時間を過ごしている時が幸せなのだと私は思います。

 

であるなれば「自分はどういうときが幸せなんだっけ?」をまずは冷静に把握することが必要だと思います。


#2人で一つの傘をさしたり

#ブランコに乗り星を眺めたり

#押しボタン式の信号機を

#いつも君が走って押すくだり

#など



意外とこういう基本的なことが抜けてる人は一定数大人の方でもいるのかもしれません。

 

 

そんなことを考えると、まだ究永舎生には分からないかもしれませんが、意外と「今日は何も無かったな〜」ですら幸せだったりするものです。笑

 

#独身ここに極まれり



そのようにして「自分はどういうときが幸せなんだっけ?」に気づけるようになることってすごい大事なことだと私は思います。焼肉が食べたいです。

 

 

なんかここまで書いてきて気づけばまたもや激薄ジャパンな幸福論になってしまって悲しいのですが、ゴリ押しで言いたいのは、幸福の基準が他者になってないかはまず気をつけた方がよくて、それはとどのつまり幸福の絶対的な基準を自分の中で持ってる人が幸福になり易いということで、そのためにもまずは自分の欲求に意識を向けることが大事だと言いたいのであります。

 

そしてもし可能なんだったらその練習を受験勉強を通じてできたらいいなと私は考えています。

 

 

そうして自分の欲求が明確になって、それが仮に自分がこのまま迎えちゃいそうな運命とマッチしないことを自覚したときに人は変わっていけるものだと思うし、そういう

 

“潮目が変わった瞬間”

 

に立ち会えるのはこの仕事の醍醐味の一つだと私は思っているという感じです。


#いつか

 

 

 

 

いや〜・・・すいません、私自身あまりに幸福に意識が偏るあまり、頭の中は8割方・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ってなりながら書いてました。

 

 

ああ、

焼肉食べたいな、

気持ちがループループする、、、、

 

 

#求む運転手のバイト

#焼肉付き

 

 

 

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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