おはようございます。
4日連続で昼ごはんがしゃぶしゃぶの重本孝こと、そろそろオアシスのレジの方から「豚肉モヒカン」などのあだ名をつけられやしないかと心配な男です。
思い出の参考書と京大数学必修の(?)参考書
受験の難しさの1つに情報の取捨選択の上手い下手があります。
そしてそんな受験絡みの情報で、特に高校生の場合、参考書に関する情報というものもいわゆるインフォデミック(質の低い情報が出回ること)状態だと感じています。
参考書については言うまでもないことですが、「この参考書をやればこんな力がつく!」なんてことは、人とその参考書に取り掛かるタイミング次第だと思います。
これは私自身の体験談として、その昔、
を買って読み始めたところ、単調な英語の例文の数々にいちいち説明がクドくて、そこまで読まずに他の本の中に埋もれさせて、しばらくその存在を忘れていたのですが、
そこから1年後くらいに
を買って1冊やり通したところ、なぜだかそのタイミングで、やっとこさ自分は根本的に何か大事なことが抜け落ちてるんじゃないかという感覚に陥り(高校時代野球しかしなかったヤツの悲哀です)、それで、それまでクドいと思って手をつけていなかった先の富田先生の参考書を今一度読み始めたところ、なぜか前回も読んだはずの
で、始まる前書き的な部分にビキーーーーーーーーーっと来て、およそビジネス書に近いようなそんな本の構成を一気に読み進め、そこからやっとこさ開眼した記憶があります。
そうした自身の体験からも、参考書というのは本それ自体以上に、それを扱う人の状態次第で「良い参考書」か「イマイチな参考書」かというのが決まるという風に考えております。
また、こないだの受験で京大に受かった子に「(最後苦しんでいた)数学は何が一番良かった?」と聞いたところ、同じクラスのお友達から
を「今から(共通テスト後)でも絶対やった方がいい!」と強く勧められ、「そういえば(究永舎で)もらって読んでなかったな・・」と思い出し、引っ張り出してきて取り掛かったところギリギリで“開眼”したそうです。笑
ちなみにそのお友達(もちろん京大合格)は寝屋川お住まいだそうなので、私はそれ以降寝屋川方向へは絶対に足を向けて寝ないことにしました。真顔
#北野万歳
ただこれは確証はないのですが、もしこの同じ参考書をその子が1年前の春先にやっていたらまたその参考書に対する評価は違っていた可能性は私はあると思います。
その子がそれに取り組んだタイミングというのは、もはや
や
シリーズを、それぞれ14、5年分、
の昔のもの2週、その他、東進、鉄緑の教材や、研伸館の炎の100題やら、過去問30年分やらを散々やり込んだ上で、突如として共通テスト直前あたりから数学がスランプに陥ったという状況でした。
#メルカリ無くして受験無し
# 欲しい教材、優良な教材は買い与える塾です
つまり2学期までの北野での実力テスト結果(ふつうに良かった)などを見ても十分学力のマグマ溜まりは仕上がっていた状態での最後のひと押しだったんじゃないかって思います。
人間の脳は機械じゃないので、成果が保証された参考書などは存在が成立せず、いつだって、その参考書に期待できる何かを吸収できる素地(積み重ねた知識・経験値・センス)を備えた人がその参考書から吸収すべきことを吸収し、結果に反映させる姿のみがあります。
要は成長するためには「自分に必要だがまだ十分には足りていないもの」を客観的に把握できる能力が大事で、そういう形をもってして学力を伸ばした人が、その後の人生もその客観性をもってして自分に適した職に就き、都度、必要な能力を伸ばして「食っていける人」になるんじゃないかと思います。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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