おはようございます。
最近なんかまた読んでくださる方が増えてきたようで嬉しいです。歌丸です。
#需要のツボが
#どこなのか分からず
#手探りで書いておる日々です
長いのでまたお時間あるときにでも・・・
成績を上げる前に性格を変える 後編
とかく繰り返しになるのですが、成績は行動の結果であり、行動は脳からの命令の結果であり、脳からの命令は潜在意識によるものです。
もうこれは永遠の原則なはずです。
ですから潜在意識、つまり価値観・思考習慣を変えない限り成績の上下を大なり小なり繰り返しつつ、結局何年も前の段階で予定できていた通りの結末を迎えることとなります。
恋心を自覚した男子は髪型や眉毛を気にしますし、女子ならそれ以上に自身の見た目や「かわいい」ということへの意識が高まるでしょう。
中年世代は、同世代で若々しく感じの良い人を見て「いいな。。」と思ったら若者たちとはまた違う切り口で自分の見た目へ意識を向けるかもしれません。
今更私が言うまでもなく、潜在意識によって行動が変わります。
要は「カワイイは作れるー!」とそういうことです。
#また錯乱
私は身長165cmの体重65kgで最近は生活しているのですが、165cmでも55kgの人もいれば75kgの人も世の中にはいると思います。
そこで例えば55kgの人が寝て起きて私の体型になっていたとしたらデブ過ぎて精神が耐えられず、数週間ほぼ水とかお茶以外口にできず、体重はみるみる落ちてやがて55kgになるでしょう。
また反対に75kgの人が寝て起きて私の体型になっていたらスリムになった!体が軽くなった!と一瞬喜ぶかもしれませんが、おそらく次の瞬間「これならもう少し食べても大丈夫!」と早速、糖質・脂質を気にすることなく“お腹いっぱい”食事を取り、みるみる肥えていきやがて75kgに戻るでしょう。
いわゆるコンフォートゾーンに無意識的に収まろうとするわけですね。
それと同じことが成績にも言え、仮につきっきりとかで暗記テストをしてもらって、定期テストの点数が大きくプラスしても、コンフォートゾーンが変わらない以上、放っておけばまた元の状態に戻ります。そしてこの逆もまた然りなのです。
これまた永遠の原則です。
そして、私の対生徒さんへの感覚というのは、日頃の付き合いを通じて、その子のコンフォートゾーンが分かってますから、仮に定期テストの点数が伸びてもそれだけで「よし!」とか思わないですし、反対に大きく下がっても「やゔぇ・・」とかも思いません。
その子がどのレベルにあるのか常に分かってますから。
若い頃というのはそういうことが分からず、「いかにたくさん勉強をやらせるか?」しか頭にありませんでした。
ですからどうしても宿題も多くなりますし、それを“やってこさせよう”として、恥ずかしながら“怖い先生”にもときになりましたし(要はなんの“腕”も無いだけ)、また授業時間もできるだけ多くしたいと考え、隙あらば授業を組んでいました。
でもコンフォートゾーンが変わらない限り、やがて
“「55kgの人」は55kgの、「75kgの人」は75kgの生き方になる”
的なノリ、フォーエバーなんです。
そんなわけで前回までで話した「来ないはずなのに、なんとなく自習に来る」とか、また「(特に高校クラスから来られた方で)中学時代もそれなりに自習室には行っていたけれど、高校生なって究永舎入ったら回を追うごとに“クレイジーさ”が高まって、でも聞くと『みんなもっとやってる』などと言う・・」的なのは、徐々にコンフォートゾーンが変わってきてるということなのですね。
私が思うに、大事なのはそんなに塾の先生が「来い来い!」言わず、お家の人も「行け行け!」言わずに、何かの拍子にフと行く気になったらいつでもそこに気軽に入れる自習室があるという状態を保っておくことが大事なんじゃないかって思ってます。
中には結局たいした自習癖もつかずに退塾やら、大満足ではない受験やらになって「お家の方には申し訳ないな〜・・」って思うケースもありますが、それでも今のところ、どう見てもどんだけやってどんだけ運命変えてんだよ・・・の方が確率としては高いかな〜・・と思うので、そんな感じでやっています。もちろん生徒さんが成長していかれるのは塾以外の要素もふんだんにあるはずです。(何よりもそうやって生徒さんが時間をかけて気づけば変わってる姿というのはこちらも感動するんですね)
そうやっていよいよ自習癖がついてくると、次はいよいよ「エフィカシー」と「客観性」の出番となります。
エフィカシーとはめちゃ簡単に言えば「自分はやることやったらココまでは到達できるであろう」という意識のことで、客観性とは「自分に何が足りないか?」や「自分が次の“上”に行くために必要なのはコレである!」といったようなことを割と性格にイメージできる能力のことです。
どこまで伸びるか?というのは確かに持って生まれた能力も大事ですが、特に大学受験レベルにおいては、私は能力は3番目とか4番目で、1番に客観性、2番にエフィカシーが大事だと思います。
そもそも発揮されない能力は無いのと同じですから。
結局、人間というのは足りないものを俗に言う「努力」で埋め合わせ、成長して、受験であれば最後に合格をつかみとりたいワケですが、
高い目標を口にする!
能力もそれなりにある!
・・・しかし「客観性」がいまひとつだという子の場合、ホントに、はがゆいくらい絶妙に、かつ微妙に、そして下手すると永遠にその先も一生ズレた頑張り方をする可能性すらあります。
人間というのは、これまた悲しきかな、他人から指摘されたとて、心の底から自覚(修正した方がエエな、と思うこと)しない限り自分を直そうとはしません。。。
つまり真の意味で客観的にならないといけませんが、言うまでもなくこれがめちゃめちゃ難しい・・・
職場の残念な新人くんや、取り扱い注意の中年さんが何回注意しても永遠に治らないのは、根本的にはこの客観性の無さ故であると言えます。
そんな感じですから、私としましては、なんとかジワジワと生徒さん自身さえ気づかぬうちに自習室に通うのが当たり前になる、、、というのができてきたら次はいよいよ受験でサクセスする人の意識にいかになっていってもらうかという仕事になります。
昨日も中3生の帰り際に、、、
「自分の何がダメか、“自分だけが知っている自分”がどれだけオッパッピーな時間の使い方をしてしまっているか、そこに目を向け、認め、自分イケてない!と情けなくなれるのが本当のメンタルの強さで、それができないと必ずズレた努力、例えば、女の子にバラを10本プレゼントして告ったところ余裕でフラれた男の子が、“反省”をして、今度はバラ100本とか、チューリップをプレゼントしようと頑張ってバイト代貯める的なズレータよりもズレた努力をしてしまうフォーエヴァーだから、そうなったら怖いやろ?だからとにもかくにもホントに難しいし、先生もこんな髪型して言うのもおこがましいんやけれども、どうにか自分を疑って、修正箇所を勘違いしたまま間違った努力したら怖いな・・っていう恐怖感というか緊張感というかみたいなのは常に持っとこ!」
みたいな伝わったのかどうか微妙な話をしました。
#もちろん
#野球知らん女子ばかりなので
#ズレータには1ミリも
#反応してませんでした
こういう話(ズレータではなく)を常々して、なんとか潜在意識の隙間に入り込もうとすることが塾講師としては大事だと私は思ってます。
だって客観性が高ければ高いほど幸せになれる確率は高くなると私は思ってますから。ムズいんですけど。。。
生徒さんには知らぬ間にジワジワ変わっていって頂けたらなといつも思ってます。
最後に、いつもこういう話をすると脳裏に浮かぶミスチルの歌詞があります。
ともすれば ともすれば
人は自分をどうにだって変えていけんだよ
そういえば そういえば
「君の好きな僕」を演じるのは
もう演技じゃないから
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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