おはようございます。
脳の受験モードが合格発表以降ややトーンダウンし、有益性が怪しい豊中の塾講師のブログこと徒然日記です。
ちなみに本日より新高1クラスがスタートとなります。
どんな雰囲気になるのか全く想像もつきません。震
ホントの「賢しこ」と、なんちゃって「賢しこ」の違い
世間ではもうじき職場に新入社員の人たちがやってくる頃かと思います。
子どもたちには残酷な話ですし、職種にも寄るとは思うのですが、職場、つまり仕事の場面においては受験の知識などまずほぼほぼ役には立ちません。
#塾講師が言うといろいろ違和感はあるのですが
たいていのことは調べれば分かりますし、なんやかんやで日本にいる限り、英語ができなくても不便はありませんし、高度な計算をしたり、幾何のセンスを発揮する場面もほぼありません。
そういった言わば、文章化されているものから得られる情報というのは相対的な価値としてはそこまで高くはないというところはあるのではないか?ってそんなことを最近思ってます。
とどのつまり、最近思ってるのは・・
ホントの「賢しこ」が文字で書かれていないことからでも学べるのに対し、なんちゃって「賢しこ」というのは文字で書かれてることからしか学べない人なのではないかという理論が自分の中で芽生えつつあります。
現場レベルでの表現で言えば
「いやいや・・そんなん言わんでも分かるやろ。。」
というノリです。
当然大なり小なり、誰だって勝手が分かるまではそういう切り口で先輩やお客さんから怒られることはあると思うのですが、だとて同じ学歴の者同士でも社会に出た段階で、その明文化されてないけど当たり前っぽいことがどれだけ身に付いてるかの個人差たるやすごいものがあります。
生徒さんにもたまに言うのは、
「バイトや職場に出て、注意される、叱られる、っていうのはまともな先輩からなされる場合は、多くはそれまでの段階で『き、、、君、ちょっといい加減にしろよ・・』という我慢があって、その上でのことだから、注意や叱られるのが初めてだろうがなんだろうが、もうその段階でそれは“ラストパス”なので、それ“トラップミス”したら自分では気づいてなくてももう次はない場合も多いよ〜・・」
ということです。
私もいっぱいトラップミスしてると思うんですが、それって自分では気づかないから怖いんですよね。。。
豊臣秀吉と石田三成の3杯のお茶の話しではありませんが、自分ができる人というのは相手の能力の有無もある程度把握できるものです。
マンションの10階に住む人は1〜9階からの眺めも見れますが、1〜2階などに住む人では10階の景色は想像が難しいのと同じ理屈です。
中高大やバイトなどを通じて明文化されていない次元のことをどれだけ把握し、身につけたか、そして社会人以降はむしろ明文化されていないことから学べない人はなかなか厳しくなるので、究永舎生はそのあたり夜露死苦です。
#学生は“暗記”、社会人は“察知”
#模試の偏差値とは
世の中、「大学に入学して学んだのは、大学では何も学べないということだ」なんて名言か迷言かどちらともつかない風味の言葉があるのですが、確実に言えるのは、大学生になってまで参考書や問題集や教授の書いた本からしか学ぼうとしない人はおそらく結果的に将来につながる有益な何かを学ぶのは難しいし、早ければ20代半ばからキツイだろうということです。
ホントの「賢しこ」は明文化されていない、かつ、明文化できないようなことから学んで先へ行くからです。
究永舎生のみんなも先生とお互いに、参考書からだけでなく、世間のいろんな人からも学んでいこうな〜。(学校行事に積極的に参加するのもそういう意味で有益だと思います)
アカン・・・、俺、真面目過ぎか⁉︎
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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