年のせいか「幸せ」ということについてよく考えるようになったな〜・・と思います。

 

このブログでも「幸せ」、「幸福」、「不幸」などというワードの頻度は多くなってきています。笑

 

 

幸せって“おいしいラーメン屋さん”や“おもしろい本”とかと似てて、自分がそれを味わっていると人にも味わって欲しいと思い、自然と人の幸せも願うものです。

 

 

ネットなどで人知れず、有名人や政治家に悪態づいている人なんかを見ても「心の平安が訪れて早く幸せなれたらいいのに・・・」っていう感情がまず1番にきます。

 

その一方で馬鹿騒ぎしてる偏差値マイナス8億くらいの学生の子たちを見ると、昔なら「うるせー」みたいな感情しかなかったのに(今も「うるさい」とは思いますが)、なんかこれがジジイになるということなのか、若い子が楽しそうにしてたり、それこそ俗に言うバカップルみたいなのを見ると、ホントに泣きそうになるときがあります。なんか知らんけど。

 

昔テレビで芸人の宮川大輔さんが「若い後輩がむっちゃメシ食べてたり、カラオケで大声で一生懸命歌ってるのみるとなんか知らんけど泣けてくる」的なことを仰っていたのを記憶していて、当時は「なんでなんやろ?」と不思議でしたが今はすごい分かります。依然なんでかは分かりませんが。

 

 

で、わたくし、20年間塾講師をやっておりまして思うんですけれども、偏差値の高い学校に入るとか有名な会社に入るのって幸せとなんら関係ないです。

 

これ言ってみればベンツ乗れば幸せなれるとかと同じレベルの話だと思います。

 

関係ないです。

 

 

むしろ逆に「世間がいいと言うからいい」を採用し続けるというのは、どっちかって言うと幸せになる確率を下げることの方が多いと思います。

 

難関大なんていうところは勉強やりたくない子が「やる気ってどうやったら出ますか?」とか言いながら義務感で目指すところではないし、それでは行けないです。

 

激甘な塾講師は否定するかもしれませんが、行きたいから自然と勉強時間は増えるもので、休みの日に10時間勉強するのがツライのならそれは向いてないんです。

 

で、向いてなくても、他の向いてるジャンルを必死に探せばいいんです。向いてないことを続けるツラさは私もよく分かりますが、「向いてないわ・・」って分かること以外に、あんまりそれって役に立たないんです。笑

 

ちなみに“向いてる”っていうのは、ちょっとした充実感を伴い、ずっとやってたり、ずっと考えてたりしても全く飽きずに苦にならないこと、だと思います。

 

私は生徒さんの合格のことを365日24時間考え続けることが全く苦ではないので塾講師に向いています❤️(露骨な好感度上げ狙い)

 

 

 

 

最近、ドラゴンボールや鳥山明先生について改めて調べたくなっていろいろ調べていたのですが、 鳥山明先生のWikipediaの記事にはこんな記載がありました。

 

 

初代担当編集者の鳥嶋和彦は、「家は貧しかったが両親共にのんびり屋の性格で、食べ物を買うお金がない代わりに、両親は二人でワルツを踊るような人だった」と述べている。鳥山自身は絵を描くことが好きで、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていた。欲しい物があるとそれを手に入れるまで、あるいは興味がなくなるまで絵に描き続ける癖があり、その癖は漫画家になって以降も続いている。

 

 

その後鳥山先生は工業高校のデザイン科に進学し、就職→退職→アルバイトなどを数年続けた末、懸賞金欲しさに応募した漫画の賞レースが漫画家になるきっかけとなったそうですが、アラレちゃん、ドラゴンボール連載時などは睡眠時間は3日に1回だったなどという恐るべき記載も先の続きにはありました。

 

結果論ですが、これってもしご両親が「あなたには貧乏になって欲しくない!」とか言って「絵ばっか書いとらんと勉強せええええ!!!!」と明少年から絵を奪っていたら、その後に全世界で興行収入累計2兆円以上を生み出す日本を代表するマンガ家鳥山明は絶対に誕生してなかったと思います。

 

ドラッカー氏の言う「人は弱みで成功することはない。常に人は強みで成功する。」の典型です。

 

 

この例のあとに気が引けますが、私自身、子どもの頃よく母親から「男のクセに喋りすぎや!」とたしなめられてましたが、結果的に喋りで食べてるので、そういった自分自身の経験からも、自分がやってて一番苦にならないことで食べていく道を模索するのが実はベストウェイなんだと私は思います。

 

やりたいことのために嫌なことも我慢してやるはありですが(ていうかそれは我慢ができる)、やりたくないことのために嫌なことを我慢してやる、っていうのは絶対に心身に悪いでしょう。

 

 

 

個人的に大学受験を乗り越える本当の意義はモラトリアム(時間的猶予)を手に入れることにあると思います。

 

私自身過去の自分に感謝するとすればこのことをよく理解し、有効活用した(と自分では思える)ことです。

 

要は大学というところは18歳終了段階で特段“これで食べていけます”が見つからなかった人のラストチャンスみたいなものです。

 

そういった意味で、就職先内定を1つのゴールみたいにとらえ、「就職決まったから残りの時間遊びまくってやる!!!」みたいになってる学生を見るとぶっちゃけ「センス無い側の子やな。」と思います。

 

就職先は“ドラゴンボール”ではないっす。

 

とりあえずの就職先が決まってから、そこからいよいよやっとこさの摩訶不思議アドベンチャーです。不思議な旅がはじまるぜ!って感じです。この世はデッカイ宝島です。そうさ今こそイグジット!・・じゃなかった、アドベンチャー!!です。

 

就活終わった大学生に言いたい。

 

もっとワイルドに

もっとたくましく生きてごらん

 

(はい、同世代のオッサンしかついてこれてないね・・・)

 

 

私自身まだまだ亀仙人になる気はなくて(今なおせいぜいクシャミ後のランチさん程度なんで...)、日々修行し、戦闘能力を高めながら“ドラゴンボール”を集めてる段階だと思ってます。笑

 

究永舎生が、その後、各自で幸せという名の“ドラゴンボール”を探す旅の過程で成長を重ね、人生という名の不思議な夢を見に行くいささかのジャンプ台として教室が機能すれば嬉しいです。

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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究永舎 大阪 北摂 豊中市にある高校受験・大学受験で連勝を目指す教室