個人的に、幸せになるためには“自分と対話できる”というのが必須だと考えております。
自分がどう感じているのか?
どう思っているのか?
なぜそう感じるのか?
なぜそう思うのか?
ここを深掘ったところに幸せになる“とっかかり”があると思います。
私は、自分の中の“これや!”とか“なんか違う”に敏感で、またその理由を自分で自分に説明できる状態でないと気が済まないタチです。
中にはその解決に10年以上要したこともあります。
その結果アラフォーの今となっては自分というヤツはどういうことをすれば機嫌が良くて、どういうことをすれば機嫌を損ねるのかをおおかた分かっていたり、予想ができるので、ある程度自分で自分の地雷を踏まないよう、自分で自分の機嫌を取りながら・・・まぁ、要は日々機嫌よく過ごせて頂いており、正直明日死ぬと言われても取り立てて後悔はない状態です。ただ幸か不幸かまだ借り入れがありますので死ぬわけにはいきませんが。
人は自分が敏感なものには他人に対しても敏感であると思います。
例えば私は清潔感とかそんなのとはまた違う次元で、絶対的に爪や髪が伸びている状態が嫌いなので、女性に対しては何も思いませんが、年齢問わず男性で爪や髪が長い人を見ると「切ったらいいのに・・」と100パー思ってしまいます。(もちろん言いませんし、ファッションの一環なら全然気になりません)
話の方向性がいまだ分からないわけですが、いよいよ本題です。
たぶん「は?」っていう話かもしれませんが気にせず書いていきます。笑
私が生徒さんを指導する上で一番注意していることみたいなのがあって、それが
「自分と会話ができているか?」
です。
自分がそこに敏感なんでどうしても生徒さんに対してもそこは敏感に感じ取ってしまいます。
一般的に人の精神面を形容する言葉で「幼い」とか「精神年齢が低い」というのがありますが、個人的にはこれは“自分との会話量”で決まるものだと思っております。
ですから正直個人的解釈ではこの「幼い」や「精神年齢が低い」に実年齢は関係ありません。
自分との対話量が少ない人は10代でも50代でも幼いですし、自分との対話量が多めな人は小学校高学年くらいでも「幼くない」です。
ここからが本格的に
「は?」
になっていくわけですが、私が指導上行っていることは結局は生徒さん各自に
いかに自分と対話してもらうか?
ということに収斂(しゅうれん)します。
で、中1(今年から開講してませんが)や中2くらいだったらそもそもこの対話ができてない子が多いんです。
違う言い方をすれば大人から見たら「何も思わんのかい??」みたいに見えるんですが、実際のところ“幼い人”というのは思うところはほぼ無、という状態です。
ところが。
ここが中学生の面白いところですが、人間それぞれのタイミングで「思うところ」っていうのが出てくるんですね。中にはそれが高校生とかになって発芽する子もいます。
私はそういうときに「お、来たかな〜」みたいに眺めて、黙って見守ってるうちに勝手に自分で格闘し始めて少しずつ生徒さんが伸びていくのを見るのが好きです。
私の感覚では、このときに生徒さんを褒めたりして一気に伸ばすみたいなことはやらない方が良くて、とにかく大人は黙って芽が伸びていくのをとにかくただただ黙って見てるのがいいと思います。
ただその過程で、生徒さんが本当になかなか上手くいかないときなどに「いや、その発想は成長と逆やわ。」みたいになってることがあるんで、そんなときだけ“クラス全体に話す”とか“昔の教え子の話”という体裁で訴えたいことを訴えるという感じです。
分からせるという暴力的な感じでなくて、あくまで・・・
何かを感じさせる→自己対話
という線を狙います。
レーシック手術のように患者さん、否、生徒さんが、ある意味では自分の内部に何が起こったのか気づけない状況を狙います。
ほんま「は?」やわ!言う人ごめんなさいw
久しぶりに動画でも喋っております。
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今日は終始マジメなトーン・・・でやんす。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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