東京の公立入試から、今年は関係代名詞の一部(一部でどこ?)や三平方の定理が出題範囲から削除されると聞き大阪の展開が気になる今日この頃です。

 

 

 

ま、結局、3年後には“やった人”が大学生なるんですけどねウインク

 

この仕事をやってますとなんやかんやで“努力”ってやっぱ大事やなと痛感させられます。

 

努力は運を支配するという言葉がありますが、受験に関してはこれはゴリゴリの“真”です。

 

 

 

【知識の吸収率という概念】

 

私の授業哲学に影響を与えてくれた本の1つに

 

 

があります。

 

これは2008年究永舎開校前。

 

チラシなるものを作ったことがなかった私は、マーケティングに関する本を何冊か読んでいたのですが、結果的にマーケティングよりも授業に活かされることの方が得られるものが大きかったです。

 

より具体的に言えば、上記の本を読んでスグに授業にその影響が反映されたのではありません。

 

反映されたのはゴリさんの後、大手塾教室責任者コンビ(通称:チェルノブイリ1号2号)に小中生を任せ、頻繁に保護者様からの御忠言や退塾される方に目眩を覚えていた頃のことです。(今思うと、私やゴリさんに期待されてお通いになられていたので当然の結果ではあります・・)

 

当時“彼ら”の授業を見て、一番伝えていたアドバイスが

 

「子どもら全然引き着いてないで!」

 

であります。(そもそも大手塾にいると20代後半で教室責任者とかになって一人前になったと錯覚することが多い)

 

 

で、彼らにいくらそのことを伝えても分かってもらえないので(眼科と脳外科に連れて行こうかとも考えたが)、どうすればいいのかをより突っ込んで研究しようと、当時はよく、彼らにバレないように教室の外にへばりついて彼らの授業を聴講しておりました。(誤解の無いように言っておくと、彼らは人間的には私より断然イイ奴らです。)

 

で、ここからが本の内容と絡むところなのですが、結局、授業で伝えることというのはマーケティングと同じで「それが欲しい!ゲットしよ!」と思ってもらってやっと成立するのですね。

 

僭越ながらここが多くの先生がやっちゃうミスで、生徒さんが聞いてくれる前提の授業はダメだということです。

 

これもよく“彼ら”に言っていたことですが、「子どもたちが聞かなきゃいけない授業はしないで!」と。「子どもたちが聞かざるを得ない授業」、「子どもたちが『おいおいおいおい、先生よ、(話の次の展開が気になるから)頼むから今だけは突然死なないでくれよ!』という授業がスタートラインやで。」と。

 

結論、私のマネジャーとしての何もかもが足り無さ過ぎて彼らには1ミリも届かなかった・・、ていうか当時彼らは何よりも究永舎を脱出することで頭が一杯だったんだと思いますが。。。(ちなみにどちらも年収500万...)

 

確かに授業というのは話術、すなわち話の展開センス、ワードセンス、ボディランゲージ含む表現力、間、個と教室全体の空気演出力、観察力などなどを基本として挙げればキリがないくらいマニュアル化できない要素のカタマリなので、私も常々どこまで言えばいいのかは正直分りませんでした。(できないことを言われてもツライだけというのは頭では分かっていたので)

 

また、採用に至らないまでも、これまで多くの塾や学校の現役教師の方達の模擬授業を見てきて、ほぼ9割方の人に共通するのは“生徒が聞いている”が前提になった授業だということです。申し訳ないが、いかにこれまで何も生徒さんを観察せずに生きてきたかの所業です。

 

本当にいい授業というのは先ほども述べたように「聞かざるを得ないもの」です。(もちろん恐怖で支配するなど下の下である)

 

生徒さんが授業中に思いついたことを勝手に発言するなど渡部建級に有り得ません。(ここで使ってみました)

 

で、この「聞かざるを得ないもの」というのを違う言い方で私なりに表現させてもらえれば、それは「ニーズとウォンツが喚起されている授業」ということになります。

 

意味わかんないので説明しますが、詳しく知りたい方は上記の本を読んで下さい。

 

 

で、上記の本にも出てくる例えですが、たとえばいきなり「リンゴ食べる?」と言われても、よほどのリンゴ好きでない限り欲しい!とはなりません。しかし「このリンゴは○産で、○○さんという農家の方がーーーな製法で育てた有名なリンゴで年間100個程度しか生産されてないんだけど、どう?」となればどうでしょうか?

 

多少お腹がいっぱいでも食べませんか?

 

 

良い授業には必ずこのような仕掛け・・・という仰々しいものではなくて、生徒さんが続きを聞きたくなる(聞きやすい)ような言葉や間が選ばれています。(これを実現するためには生徒さん個々の背景を知る必要があるのですが)

 

「先生!頼むから、今だけは死なんといてくれよ!」って生徒さんがなる状態です。映画に例えれば「頼むから今は絶対に停電なったアカンぞ!」です。

 

そういう授業というのはデキる子から順に知識の吸収率が格段に上がってる状態なんです。一般的には興味をそそられてる状態というやつです。

 

例えば、クラスの気になる男の子が広末派か深田恭子派かというのと、気にもとめてない男子が広末派か深田恭子派かというのであれば、断然、前者が「広末派」だとかいう情報の方が女子からしたら記憶にいつまでも残るのと原理は同じです。(#1990年代後半の高校生にしか分からん例え)

 

同じ情報、同じ伝え方でも、その情報を受け取る側の吸収率次第で全然結果は違ってきます。

 

結局、学力とうのはこの吸収率が上がってる状態でないと、生徒さんと先生の両方にとって、その費やした時間は無に帰します。いわゆる徒労や誰得?というやつです。

 

今思えば私もかつてはそういったミスをたくさん犯してましたが、少なくとも生徒さんが「今それを吸収できる状態にあるか?」というのは細心の注意をもってして観察しないと非常に効率が悪いです。

 

人間は機械じゃないんでそのときそのときの状態というのがあって、そこを無視して“Aの場合はB”みたいなパターン・マニュアルで対応するというのはホントに誰得?状態になる場合が多いです。(あらゆる大手塾曰く“教師マニュアル”で対応可能だそうだが笑)

 

例えば、彼氏のことで悩んでるJK(塾講師ではない)に対して、成績低下を指摘したり、進路の話をふっかけるなどは時間コスパが悪過ぎる!などと言えば分かってもらえるかもしれません。

 

講師というのは生徒さんの個々のそういった状況を察することができるようケロっとしながら全神経を集中させないといけないし、また客観的に自身の対応を決めないといけません。

 

上記の例で言えば、

 

講師:菅田将暉 →  優しく励まし、生徒さん本人次第では相談に乗って上げる。

 

講師:38歳独身のモヒカンおじさん → そっと離れる。

 

が正解です。

 

 

まぁ、これまで数々の失敗を犯してきた私が言うのもなんなのですが・・・涙

 

 

まとめとしては、その生徒さんが持つ知識の吸収率をいかに高めた上で、伝えたいことを伝えるか?というのが大事だと私は思っているということです。(3行で済む説明を数千文字で伝えるブログスタイルポーン)

 

経験上、非常に僭越ながら、一般的に言われる通称“毒親”の対局の象限におられる保護者様というのは「今は言うてもアカンな笑い泣き」という感情の制御がも〜〜〜〜〜〜〜〜〜うそれは「“お子さんの親”を何回やってはるんですか!!??」と言わざるを得ないくらい天才的です。

 

 

 

というわけでいつも以上に抽象的な内容でしたが、今日はここまで!ということで。

 

 

 

ではまた!

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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