昨夜から一人玉置浩二が止まらないワインレッドな今日この頃です。

 

 

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【私は○○な先生。】

 

もし自分で自分をどんな先生かと尋ねられれば迷わず“臆病”と答えるような気がします。

 

仕事について考えることと言えば99%は未来のことですが、仕事の思い出と言えば、少なくとも瞬発的に思い浮かぶのは99%は申し訳なかったなと思う生徒さんのことばかりです。

 

最後志望校を叶えて挙げられなかった生徒さんはもちろんのこと、やはり自分の“人として”の至らなさから結果的に信頼関係が上手に構築できなかった生徒さん、また構築できていたはずの信頼関係に私のせいでヒビ割れや破損を起こしてしまった生徒さんなど・・、正直この20年を振り返れば何人も思い浮かびます。

 

先生の中には本当に人間ができていて、普通に接しているだけでたいがいの生徒さんから好かれるような先生もいますが、自分はそういうタイプではないというのは若い頃から認識していたが故に、“失敗”の都度、自分なりに過去とは決別して今に至っている感じです。

 

その結果として、自分の一言や、ふとした際の自分の態度にはいつもビビって日々生徒さんと接しています。というか内面は必ず伝わる(このブログ然り)ので、取り繕うことは実際は不可能です。であるが故に、結局、先生は自己の内面の成長なくして先生としての成長はないだろうと思います。

 

抽象的な内容が続いて申し訳ございません。

 

具体的に書こうと思えばいくらでも“そっちの”エピソードは書けるのですが(対生徒さんに関しては死ぬほど後悔してることだらけなので)、ホントに暗くなるだけでさすがにとても笑いを入れることもできないので、やめといた方が良さそうです。

 

生徒さんにもいつも言うことですが、人間は常に未来という名の上流に目を向けるべきで、過去という名の下流に目を向け、手を伸ばしても、“流れていったもの”は二度と戻りません。

 

それよりもこれから来る未来(桜井さん曰くの『くるみ』ですね)に目を凝らすべきです。ただ。流れていった過去を忘れることなく。

 

どんな状況・理由であっても、先生と接していて、生徒さんが泣くしか道はない、もうそれしかないという状況はあり得ません。本来はそうなのですが、しかしそれでもこれまで私と話していて、あるいは私が厳しいことを言ってしまって、生徒さんが泣いてしまうことがありました。

 

最近は、自分も若い頃と比べて、ややボケが入ってきたか?と怖くなることもちょいちぃあるのですが、生徒さんが泣いてしまったその場面の1つ1つを忘れることはありません。

 

それを忘れるというのはそれは退化を意味します。学んだことが抜けているということですから。

 

逆に言えば、これまで接してくれた全ての生徒さん(や保護者様)とのやり取りの集積がその“先生”を作るので、やはりあんなヤツに教わってたんだ・・ていう風にはしてはいけないという責任はあります。

 

そんなわけでこれからもビビりながらやっていきます。笑

 

 

過去の生徒さんもみんな幸せでいてくれたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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