ず〜っと匿名誹謗中傷問題が

頭の中にあります。。。。

 

日頃はぶっちゃけ、

世間の一過性のニュースには

そこまで関心がないのですが、

どうもこの件は勝手にひっかかってます。

 

だって絶対に自分は誹謗中傷匿名係長になりたくないし、生徒さんにもなって欲しくないから。

 

(お前の考えなんか知らねーって人はここで画面は閉じてネ。)

 

 

 

 

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本題に入る前の大前提として、

私は塾講師として

ふだん中高生の子たちと

接しています。

 

彼ら彼女らには志望校合格は

もちろんして欲しいわけですが、

自分が関わった以上、

私が何かできるわけではないですが

やっぱり幸せを感じて

多くの時間を生きて

欲しいと思っていて、

やはりそこは1つの目的地です。

 

でも「幸せになってくれ!」みたいなセリフを言う人の一体何割の人が“幸せとは何か?”という問いに対する答えを持ち合わせているでしょうか?

 

自身が「幸せ?さあ、そんなのは知らん!」と思いつつも、人の幸せを願うというのはどうも言葉の上っ面で浅いような気がしていて、私はこれまで「幸せになって!」みたいなセリフは言ったことがありませんでした。(この辺ムダに真面目なんです)

 

 

が、しかし・・・

 

 

なかなか理解されないのは承知なのですが、

ちょうど1年前にたった1人の社員が

突然退職代行を利用して“飛んで”、

私のこの1年というのは

たぶん大人になってから

1番幸せだった、ていうか、

自分でも笑ってしまうのですが、

生まれて初めて「ああ、これが幸せか・・」と

心の底から思えたというか・・

 

いや、理解されないでしょうし、

そもそもする必要がありません。

 

とにかく、人間やはり日々、

心の底から、というかむしろ

どこからともなく精神レベルで

常態化するような形において、

幸せ・感謝・幸運を感じて

時間を過ごすという領域が

あるんだなと齢38にして

私は初めて実感しました。(恥

 

とっくの昔に「うん、気づいてた」

っていう人もたくさんおられると

思うのですが、私は瞬間瞬間こそ

そういった気持ちになったかもしれない

場面はあっても、今はそれが精神レベルで

常態化している感じです。

 

 

恥をしのんで書くと、

これまで自分は運がいい方だというのは

主観的にではありつつも

うすうす感じていたのですが、

 

でも、幸せって何だ?と、、、

 

感謝なんて「やれ!」言われて

する感謝なんてホントの感謝か?と、、、

 

感謝ってそれなの?と、、、

 

まぁ、そんな感じだったんですよね。

(ここまでお読みになられてひっくり返られている保護者様、ほんとすいません。。。私ってこういうやつなんです。)

 

ところが理由を説明しろ!

って言われても難しいですし、

もちろん、変な宗教に入って

ヘッドギアをつけているとか

でもないのですが、

退職代行事件の後、

この1年、私は生まれて初めて

上記のような心境を実感致しました。

 

で、これって間違いなくその要因というのは環境ではないんですよね。

 

人間関係・経済面・健康面で今が一番ベストか?と言われれば、トータルではもっと良い時期は正直あったように思います。

 

じゃあ何でだろう?

理由が知りたい・・と思った時に、

たどりついた答えというのが、

 

ほぼ100%自分に正直に生きているから

 

というものでありました。

 

自分のことなので最終的には

自分にしか分かるわけないのですが、

これが答えで間違いないと思います。

 

そしてそれに気づくと、

おのずと親を初めとした諸々に

感謝の念が湧き水の如く、

じわじわじわじわと流れ始めた感じです。

 

気持ち悪いこと書いてるかもしれませんし、

実際書いてる私が気持ち悪いと

客観的に感じているナウなのですが、

これまたやはり自分の正直な心境です。

 

 

幸せって、前澤社長みたいにならないと

なれないんじゃないかって思ってました。

 

ていうか今でも頭では思います。

 

大金と女優の恋人必要でしょ!って。

 

 

 

でも幸か不幸か・・・

 

そうじゃないんか・・・って。

 

 

 

で、万里の長城より長くなってますが、

なんとここまでが以下への前提です。(ごめんなさい!!)

 

 

 

 

 

 

では続きです。

 

え?

 

暇なの!?・・・って?

 

 

はい、暇です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し前に、

 

日本人は世界で一番YouTubeの

低評価ボタンを押している

 

というのを知ったのですが、

これって今問題になっている

全国にはびこる“誹謗中傷匿名係長問題”と

通底する部分が多分にあるように思えるんです。

 

 

全国におられる誹謗中傷匿名係長のみなさんに対する、国による法的側面からのアプローチ・また著名人のみなさんによる啓蒙的アプローチなど、どれも問題へのプラスになると思うのですが、市井の素人の肌感(つまりテキトー)では、これってもうそろそろ日本の教育観・子育て観を変えていかないといけない問題なんじゃないかと思っています。

 

説得力がないので特に共感は求めないのですが、贅沢言うと思考の切り口の4択の選択肢のうちの1つにでもなれたら嬉しいなと思ってます。笑

 

続きです。

 

よく日本ではスティーブ・ジョブズ、ジャック・ドーシー、マーク・ザッカーバーグのような人が出ないと言われます。

 

これに対して、平均的な大人の日本人より、ほんのちょっとだけ多感な中高生を多めに見てきた、また、その年頃の子たちに課せられた環境を知る者としては、確かに“出ない”環境ではあると思います。

 

 

既述の偉大な巨人たちについては世間並みの知識しかありませんが、普通に考えて彼らと同じようなことを東大生がやってしまえば早くも20代前後で確実に潰されてるでしょう。

 

くわしく触れる余裕はさすがにありませんが、マーク・ザッカーバーグのフェイスマッシュみたいなことを東大生がやれば、いわゆる『特定』によって本人とその周辺環境は燃えるものがなくなるまで燃え尽くされるでしょう。

 

 

またもや余談が過ぎました。

 

 

 

ちょっと筋トレもしたいのでなんとこのタイミングで結論です。

 

 

要は何が言いたいかといいますと、日本の教育環境では金太郎飴になることを求められるが多くの人にとってそこに正解はないということです。

 

 

幸せへのルートみたいなもの、That's happinessみたいなものが鋳型としてあって、基本親や学校から子どもはそこへ流し込まれます。愛ゆえに。たぶん。

 

で、ここまでは国家としての日本がある以上、むしろ普通じゃないかと思うのですが、ただ個人的に冴えてないなと思うのは、その金太郎飴の鋳型に当てはまることを良しとする風潮というか、もはや同調圧力が強すぎて、そこから違うルートを選ぼうとする子どもや他人に対して、あまりに脊髄反射的に「およしなさい」という対応・視線をあてがってしまうことです。下手したらそれが即「イケないことだ!」みたいな。

 

具体的に書こうと思えばいくらでも書けますが、さすがにやめときます。馬渕→北野→京都大学をレベル99の金太郎飴だなんて言ったら怒られますから。

 

先ほども書いたように全部肌感なのですが、結局、何も知らない子どもの頃ならいざ知らず、いい歳になって、いつまで経っても自分に正直である度合いを、ある程度高めるのが怖い人が非常に日本には多いのではないかと思います。(まぁ、海外知らないんですが)

 

オール責任イズ自分って最高なのに(ドヤ顔

 

 

で、だからこそ、タレントさんやYouTuberやなんやとなんか好きなことを画面でやってたり、ましてやそれで結構収入を得てたりする人にはイラっとする側面があるんじゃないかと思ったりします。

 

こっちは潜在意識下で、生まれてこのかた、ずっと自粛中だっつーのに、お前ら楽しそーだな、しかもそれで我慢してる俺らより給料上ってどゆことだよ!??的な。

 

早い話、

 

鋳型にうまくハマれなかったからこんな辛い人生だ・・・

 

鋳型にうまくハマれたのにこんな辛い人生だ・・・

 

っていう人が誹謗中傷匿名係長となって画面のタップにその恨みを全力でぶつけてるんじゃないかと思います。

 

 

ただ・・・、たぶん、ほんとマジでたぶんなんですけど、鋳型にハマるハマらんとか、会心の罵詈雑言・誹謗中傷をぶっ放すとかはどうでもよくて、今感じてる不満というのは、誹謗中傷匿名係長のレベル99みたいな人でも、たぶんマントルまで掘れば、幸せへの突破口として眠っているルートは自分に正直かどうかに尽きるんじゃないかな〜・・と思います。

 

確かに自分が目の前の特定の鋳型にハマることに疑問を抱いて、大海に飛び出したとて、オチとしては岩場の陰から食いついた小さな釣り針にひっかかって、浜辺で見知らぬ“世間という名のおじさん”にばっくりいかれるというものかもしれません。

 

ただ、これは私もまだ死んでないんで、あくまで予感ですが、自分に正直に生きた結果として最終的には喰われるのと、本当の自分としては嫌なのに、焦げてしなびた“立派とされる”タイ焼きとして最終的に買われるのとではどちらの方が幸せか?となったら、それは必ずしも後者とは限らないのかなと。

 

みんなが右行くから、または親が右に行った方がいいというから右に行ったら結局何にもなくて、反対に行った連中がそっちで楽しそうにしてたらそりゃストレスも溜まるだろうし、反対に行った人が苦しむのを見たい、反対に行った人にも苦しませたいという根性にもなるでしょう。

 

生まれ落ちた環境、ましてや学歴とかというよりも、結局

、誹謗中傷匿名係長就任という地獄を見ないためには、人生を自分に正直に自分の判断で開拓するのが良策なんじゃないかと改めて思っています。

 

人を恨みたくなかったら自分に正直に自分で決めるべきだし、大人は子どもに対してそういう態度を求めるべきだと思います。数年後に恨まれたくなかったら。

 

 

ウチの塾生・卒業生からしたら1ミリの魅力もない街角の幸福論ですが、究永舎生には数年後には実際に答え合わせしてみて欲しいです。38歳くらいまでかかるけどな。

 

 

 

 

そう言えば、私はまだ生まれてこのかた低評価ボタンなるものを押したことがありません。

 

・・・今度どこかの塾の動画に押してみようかなw

 

 

 

 

ていうか、ここまで付き合って下さってありがとうございます。大好きです。笑

 

 

終わり