学力は認知的不協和の影響を受けるという話の続きです。
認知的不協和については検索して頂きますとたくさん解説ページが出てきますので、もしご興味あればそちらもご覧下さい。
今ここで簡単に説明しますと、認知的不協和というのは、人間が自分の中で矛盾する2つの思考の板挟みとなって非常に不快な状態になることを言います。
例えば、痩せなければ!ダイエットしなければ!と思っているのについつい甘いものをパクパクッとやってしまったと。
するとその人は当然「甘いものを食べないでおこうと思っているのに甘いものを食べる」という矛盾した不快な心理状態になります。これが認知的不協和です。
テスト前日で勉強しなければならないにも関わらずスマホでSNSなどを見て時間を浪費してしまって気分が良い人はいません。「ああ・・・やっちまった・・・」ってなります。これも認知的不協和状態です。
ここまではよろしいでしょうか?
で!
ここからが重要です。
そういった認知的不協和すなわち不快な心理状態になると人はどうするのかと言いますと、無意識的に、その不快な心理状態を解消しようとします。あくまで無意識的に。
例えば、先のダイエットの例で言えば、
「この後の晩御飯は軽くすればいい」とか「こんな甘くておいしそうなものを我慢する方が逆に精神的にストレスが溜まって体に悪い」などです。(私がよくやるやつですw)
おそらくテスト前にSNSで時間を浪費した人なら、「明日朝早く起きてやろ!」とか「今回は[以下省略]」とかです。
とにもかくにも人間は頭の中で矛盾する状態が発生すると、なんとかしてその状態に整合性を求め、天才的な言い訳、言い逃れを頭の中で生み出し、自分を落ち着かせるようにするのです。
橋下徹氏のように頭がキレる人や前澤社長のように若くして異常にお金持ちになった人などには非常にアンチも多いです。しかしそのアンチの人たちは、表面上はその相手の思想や行動自体を頑張って、ときにはモラル面から批判しているように見えるものの、実際はこの自らの認知的不協和の解消にやっきになっているに過ぎません。
要はド凡人の自分に対して、こんなキレキレの発言をズバズバする人間が存在するのはおかしい!、自分よりも全然年下で女優と遊んでいるような人間がこんなにお金を持っているのはおかしい!と感じた状態、つまり認知的不協和を解消しようと無意識的に脳がやっきになってしまっている状態です。
話が大きく逸れました。
で、こと受験に関しても、受験をするのが人間である以上、この認知的不協和を解消しようとする脳の反応からは逃れられません。
「勉強をもっとしなければならない」VS「全然勉強をちゃんとできない」
の認知的不協和が発生した場合、普通の人間は「全然勉強をちゃんとしていない」という心理が不快なので、「教える人が分かりにくい」や「勉強のやり方が分からない」などに代表されるような典型的な言い訳を脳の中に講じて頭の中に整合性を保とうとします。
つまり、「だから勉強できなくて(結果出なくて)も仕方ないんだ」と。
これ、一見ふつうのことです。
そうです。ふつうです。みんなそう。誰だって多くの人がそうです。
だから上位にはなれないのです。(ちーん
これは生徒さんにもよく言うのですが、例えば偏差値70というのは母体の中の上位3%以内に入っていることを意味します。
これは極端な話、どんな世界でも偏差値70を越える人というのは残りの97%の人たちと頭の中が違う状態であるということです。少なくとも偏差値45〜55幅にいる中位38%分や、それ以下の人たちとはもう決定的に発想が違うと言えます。
簡単に言えば、偏差値70以上の人にとっては「教える人が分かりにくいからできない」とか「勉強のやり方が分からないからできない」というような発想をして結果が出せない自分が一番認知的不協和状態になるのです。
ですからどれだけ不運に見舞われ、谷底に落ち、どんな状態、環境に陥ったとしても最終的には結果を出す発想のみを脳は採用し、行動に移します。それが脳にとって心地がいいからです。
数日前の記事に書いたK氏に、高3の秋に利き腕を骨折したときどう思っていたのかを聞いたことがあって、彼はこう言っていました。
私「よう絶望せえへんかったよな・・」
K氏「左腕だけでもマークくらいはできるので、思いの外センター対策に取り組むのが早くなって、実際にセンターの結果は予定したもの以上が取れて良かったです。」
私「そのぶつかった友達に対しては『コノヤロー』とか思わんかった?」
K氏「その人が一番ショック受けてる感じやったんで、これはもう絶対俺は受からなアカンな思いました。」
で、サクッと京大経済現役で受かると・・・・
これがもし凡人の私なら「う〜ん、浪人やむなし!しゃーないね。」「あのヤロー!!一生恨んでやる!アイツは5浪くらいせえ!!!!」という形で認知的不協和に対して整合性を取ります。
だってフトゥーそうでしょ!(ちーん
とにもかくにも、このように人間というのは矛盾する心理状態が発生した際、必ず片方の心理状態を封鎖・抹殺することで、自分にとって心地の良い状態を維持しようとします。
その心地の良い状態をコンフォートゾーンといい、そこに是が非でもとどまろうとする心理パワーのことをホメオスタシスと言います。
ですから、勉強ができない子に「勉強ができない子に対するステレオタイプの態度」を大人が取るというのは実は私的には絶対にやってはいけないことです。
強制勉強、再テスト、定期テストへの細かな指示、自分でできるはずのことを大人が手助けする、勉強中は静かにしなさい!・・・などなど、こういったことは一般的には大人も子供も「できない人間」への対応だという認識ではないかと思います。
ですから大人が勉強が苦手な子にそういった態度を取ると、子供は「自分は自発的にはやらない人間なんだ」という認識を無意識的に深めるだけです。大学受験で全く通用しないタイプの中でよくあるパターンのうちの1つです。
また、賢い子にそういった態度を取ると最上位生が最上位生でなくなったり、ハナからウザがられます。
(正直、昔は全部私自身がやっておりました・・・)
ですから究永舎の生徒さんにも耳から血が出るくらい言ってますが、成績を上げる条件は最終的には1つで、それはコンフォートゾーンを変えるしかありません。やるべきことをキチンとやれていない自分が居心地悪くて仕方ない脳の状態を目指すのです。
だって世の中塾なしで成績がいい子なんていっぱいいるんですから、授業時間や大量の宿題っていうのは絶対条件じゃないのはあきらかですもんね。
このコンフォートゾーンの変化なくして成績向上はあり得ません。逆に言えば、コンフォートゾーンの変化=成績向上です。
じゃあどう変えるねん!っていう話なんですが、一般的にはアファメーションとか自分の周りに優秀な人物を置く、すなわち優秀な人の中に飛び込むなどといったことがよく言われます(だから偉人や成功者の話を本で読んだりするのは死ぬほど大事)が、個人的な現場での実感でいうと、やはりそこは1人1人0.1mm単位での距離感調整、0.1℃単位での熱したり冷ましたりの温度調整で本人もそれと気づかないように今立っているゾーンを変えていくしかありません。
なんでもかんでも大人側が我慢する必要はないですが、ひたすらできるようになるまで厳しく接すればいいというほど甘くもないです。
私が思うに、大人側のポイントとしては、
子どもが大人に無意識的に下している評価以上の説得力を大人は持ち得ず、自分が持つ説得力を勘違いして話してくる大人を子どもは嫌うということ。
子どもを「できない人間」として扱う、すなわち「優秀な子には絶対そんな言葉言わないよね的な言葉」(例:ウチの子はバカ、ウチの子はなんでもノロい、など)を浴びせまくるっていうのは絶対にダメだということ。
これらは経験上言えます。(ネタならまだいいんですが)
もーーーーー、、、難しいですよね〜
いやもう、だからね・・・
お前、苫米地先生の営業マンか!と言われそうですが、マジで
読んで下さい。全部書いてますから。笑
究永舎にお通いの方は別にどっちでもいいと思いますけど。
まぁ、確かに生徒さんの成績を上げる、志望校に無事合格して頂くというのは簡単ではありませんが、そこで普通の大人は持ってないような言葉、接し方、感じさせ方、持っていき方、雰囲気の作り方をスキルとして複数人に対して持ってるのが私的には・・・塾講師、ですよね。ちなみにいい意味での集団催眠が得意なのがカリスマ予備校講師。
よくいる「君の悩みを解決してあげるよ!」とか「○○くんはここが弱いのでこの講座もできれば取って頂いた方が・・・」っていうのは私的には塾講師じゃなくてマーケターであり、営業マンです。だからお金は気づいた頃には、そりゃあ結構取られてます。成績悪い子がよくイカれるパターンです。
そういう塾講師の皮をかぶったマーケターには去年教室には何人受験生がいて、そのうちどこに何人行ったのか聞いてみて下さい。気づけば話は別の方向へすり替わるか、個人情報の観点から・・・みたいになって終わりです。ある意味プロです。
こちらをお読み下さっている保護者様で究永舎に通えない地域の方も、塾はマーーーージで担当者で決めて下さいね。ホントにこれ大事です。
こんなこと書いてたら授業したくなってきますよね〜。