新HPに究永舎開校までの話の続きを書きました。
この塾ができあがる過程、重本孝という塾講師の価値観が構築されていく過程を書いています。読んで頂けたら嬉しいです。
次回から↑を毎回書くのが面倒なので、このブログでは省略して、こっそりと更新していきます。すいません。
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さて、皆さんはもう
はお読みになられたでしょうか。
はじめてこのブログを読まれた方はいきなりなんやねん??ですよね。。。
上記は私が定期的にこのブログで推している本です。
これ以外の苫米地先生の本でもいいですし、他の著者の本で理解してもいいと思うのですが、
私はもう潜在意識にまつわる話、
それこそ、
コンフォートゾーン
ホメオスタシス
エフィカシー
認知的不協和
少なくともこれらの用語と概念というのは子どもと関わる全ての大人、いや、もはや全ての人類が当たり前のように知っておく必須知識だと思っております。
結論から言いますと、どこの学校のレベルの受験生になるかというのは上記の認知的不協和が全てです。
正直ここに異論を唱えるというのは、人間の基本構造に異論を唱えるのと同じなので、ある意味、「人間は酸素がないと生きていけない」に、それは違う!と異論を挟むようなものです。
私はこの認知的不協和という人間の構造を心の底から理解してから、
・宿題できるだけ少なめ
・宿題ができてなくて怒ることなし
・再テストなし
・提出課題なし
・土日の特訓授業なし
・授業時間はできるだけ少なめ
・自習室のルールも無し
・強制的に勉強させることなし
・テスト対策と称した授業やプリントの配布なし
などといった教室運営スタイルになりました。
少なくとも究永舎を見て頂く限り、一般的な“厳しさ”とか“万全のテスト対策”とかそういったものが絶対に必要か?というと必ずしもそれはそうではないと言えると思います。
誤解頂きたくないのは、究永舎の受験生の子たちというのはみんなめちゃくちゃ勉強します。ノンビリとゆるく特殊な教材を使って“コウリツヨク”するすると学力をつけているわけではありません。私に足りないところがあって最後希望が叶わなかったり、志望校を下げる子はいます。ただ、みんなめちゃくちゃ勉強します。まぁ、これは特に上位の大学行く子なら全国的にみんなそうなんですけど。
人間の行動というのはプログラミングのようにこうすれこうなるのように合理的に制御されておりませんので、やらせればできるようになるほど単純ではないです。
多くの親や塾講師が子どもに勉強を強制的にやらせるのは本質的には自分自身の不安から来るもの、否、実はそれすらも認知的不協和という心理構造から発生するものなのです。
疲れたので続きはまた明日