現在私はSNSの類はアカウントもなく

人のものを見るだけ専門になっております。

 

そんな折、日頃、

そのブログも拝読するとある

若い英語講師の先生のツイートで

 

合格は生徒の力で

不合格は自分(先生)の責任だという

人間が嫌いだ

 

・・的なことを

書かれている方がおられました。

 

合格は生徒の能力と努力の結果であり、

不合格は生徒の能力と努力の結果である

 

と。

 

 

これには同業の方や

および保護者様方など

共感・非共感どちらもあるかと思います。

 

そもそも後半の青文字内容は

結果(合格・不合格)から言えば

それは成否判断の対象ではなく、

“事実”なので異論は存在せず、

議論の余地はありません。

 

 

ここからは私見です。

 

 

まず最初に私の立場ですが、

やはり合格は生徒さんの力であり、

不合格は講師の責任だと考えています。

 

ていうか・・・

 

不合格は先生の責任だという

先生が嫌いだという人は

おそらくTOUGH BOYならぬ

ただのSHY BOYなんだと思う。

(昨日のブログ・・、私と同世代のオッサンでないと

何が何なのかさっぱり分かりませんよね・・・)

 

ほんとに不合格は生徒の責任だ!などと

心の底から思っていたら

自分の授業にお金を払ってくれていた

生徒さんの不合格の知らせを聞いても

感情はピクリともしないのではないかと思います。

 

実際、自分の知らない生徒さんの

不合格を聞いたとて

感情はノー・ダメージなのが

その証拠だと思います。

 

 

バカかと思われるかもしれないですけど、

例えば、私がよく英語の成績がよろしくない

ウチのJKとか見て思うのは、

もし私が山崎賢人くんや

岩田剛典くんでも

この子たちは同じ成績だろうか?

ということです。

 

これは一般論のつもりで言うのですが、

なんの魅力もない腹の出たヤニ臭いオッサンが

単語や公式覚えろ!っていうのと

ただでさえ見た目がいい上に

清潔感や体型維持も自制し、

人には優しい若いお兄さんが

単語や公式覚えよう!というのとって、

果たしてそれでも生徒さんの

努力量は変わらないでしょうか??

 

ていうか変わらないんなら

先生は全部ロボットでいいです。

 

絶対にこの仕事は何を言うかよりも

誰が言うかが重要です。

 

前にも書いたことありますが、

ロボットに単語覚えろ!言われても、

「お前はロボットだから単語覚える大変さ分からんやろ!軽々しく言うな!」的な方向へ感情が流れ私ならやる気は起きません。

 

ていうか何でもそうじゃないかなと。

 

そこらのオッサンが「やれ!」っていう基礎練習と、

本田圭佑が「やれ!」っていう基礎練習。

 

もし読者の皆さんが

サッカー少年少女であったなら

そのモチベーションは

微塵も変わらないでしょうか??

 

 

確かに不合格というのは

結果から言えば“能力と努力”なのですが、

そこをもう一歩突っ込ん考えてみて、

「じゃあ、この子はどんな人間が担当でも

教科への興味は同じままだったろうか?

努力量は今と同じだったろうか?」と

考えると、私はそれは違うと思ってしまいます。

 

個人的にはやはり自分の魅力が

その生徒さんにとっては足らなかったから

その生徒さんに足繁く自習室に通って

もらうことができなかったと感じます。

 

 

 

要は

 

「オレがもっと魅力的な人間やったら、この子らもっと伸びる」

 

「オレがもっと人として成長したら、この子らもっと伸びる」

 

と私は思ってますし、

個人的にそういう傲慢な、、、、、、

良い言い方をすれば

エフィカシーの高い、

人間が私は好き、

ていうかやっぱ人間

シケシケな感じで

シニカル・ニヒル・俺、ヒールみたいな、

誰得??みたいな感じよりも

明るくさっぱりと前向きの方が

感覚的に気持ちいいんで

そっち方面の人に私は憧れます。

 

 

もしこれをお読みの講師や保護者様で、

 

いやいやシゲちゃんよ。。

 

「この視点抜けてないかい?」

 

「こういう考え方もなくね?」

 

みたいなのがあれば

メールで教えて頂ければ嬉しいです。

(返信は御礼だけに止まるかもしれませんが)

 

 

 

ちなみにこの文章は

今日昼まで寝てたやつが

書いているということも

最後に念を押しておきます。