イチロー選手、否、
イチローさんの“打ち方(打撃フォーム)”や
“練習法”は真似できるかもしれないのですが、
イチローさんの習慣を
自分にもインストールできる人は
ほぼ皆無だと思います。
受験も仕事もこれと
全く同じことが言えると
私は思います。
“やり方”は真似できても
それは決定的な要素ではありません。
それこそ、例えばイチローさんと王さんって
選手としてのタイプも違うのですが
そもそもの“打ち方”が全然違います。
受験でも仕事でも
世の中には
自分を変えずして
結果を変えようという人
無難な選択をしておいて
人並み以上の結果を期待する人
人より遅く来て、人より早く帰って
「(結果出すのに)どうしたらいいですか?」的な人
以上のような人の方が
多いのは間違いありません。
でもとにかく結果を出すためには
自分(習慣)を変えていくしかないと思うんです。
ただ、これって自己客観視が
相当高いレベルでできる人でないと
自分で自分を変える、すなわち
自己による自己成長というのは
難しいですし、そもそもそれができる人は
なんに対しても“結果”で悩むことって
まず無いと思うんですね。
自分で分かってるわけですから・・
ですからそこで
私の仕事っていうのは、
生徒さんに、
“いかに自分で自分を見つめてもらえるようになるか”
“いかに自分の人生は自分で責任持たないといけないんだ”
ってことに気づいてもらうかという、
まぁ、個人的にはそういう“勝負”であると
思っています。
そういうわけで、まずは私自身が
自分を見つめるというのが
いわば仕事になるというわけです。
人間が変わるときというのは
常に自分に矢印が向いたときだと思いませんか?
背筋が凍るような経験や、
心の底から感動したり、
笑ったり泣いたりなんかしたとき、
自分に圧倒的な影響を与えてくれる人の
一言が引き金になるときなどなど・・・
なんらかのきっかけで
自分に疑問や否定の矢印が
向いたときに人は変わるんじゃないか?
って私は思う・・・ていうか
この仕事して、いろんな生徒さん見てたら
それ以外で(一時的なものでなく)成績上がって、
進路という名の運命が変わる人って
見たことないのでそう考える以外にありません。
“対策”とかで上げようとしたり、
上げてもらおうとする人は
同じ標高をグルグル回るしかないです。
それでは今より上の景色は見れないです。
ただ・・・、
受験に挑む中高生にしろ、
社会人にしろ、そういう
自分の視点を変えてくれるような先生、
先輩、上司を探し当てるというのは、
これはこれで相当な芸当です。
当然、運もあります。
ですから最低限しなきゃいけないのは、
「あ、この人から受けるべき影響はないな・・」
とか
「この人の言うことは適当にスルーで」
とかいう嗅覚を
常に研ぎ澄ませようと
意識することで、
相手を選別し、
さらに、いつ目の前に
現れるともしれない
自身のメンターを
常に探す姿勢でいようとし続けるしかないのかなと思います。
将来的に優秀な人というのは
元をたどれば幼児の頃の親に始まり、
(まずここは完全に運ですよね・・)
10代、20代の頃に
適切なメンターに嗅覚が
しっかり反応できた人だという
見方も一つあるのではないでしょうか。
塾講師する以上、1人でも多くの
10代の人たちを変えたいな、
すなわちそういう自分に変わりたいなという
気持ちは昔も今も常にあります。
自分が変わらずして結果は変わらないです。
ていうかホントに
そうでないと成績も上がらないし、
志望校合格も難しくなるので。
とりあえず先述の赤字の箇所のような人には
私はなりたくないし、生徒さんもそれでは
成績は変わらないので、アカンよね、
っていう話はよくします。