これ、メチャメチャええ話しだから
ぜひみんなに読んでおいて欲しいです。
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98年のチームで主軸を担い、現在は横浜DeNAの代打の切り札として活躍する後藤武敏は、「私生活に厳しい監督でした」と恩師・渡辺監督の教えを懐かしく振り返る。
「『私生活の乱れが野球の乱れ』という考えでした。朝の掃除をしてなかったとか、与えられたものはきちんと食べるとか、『当たり前のことを当たり前にこなせないと野球なんてできるか!』って。渡辺監督から学んだことは、『決しておごらない』ってこと。選抜で優勝して帰ってきた時も、『高い山に登ったら必ず下山する。いつも足元を見つめてやらないといけない。下山するのを失敗したら命取りになる。だから下山の仕方を間違うな!』、そして『下山したら、また足元を見つめて高い山に挑戦しよう』『一度下りなかったら高い山には挑戦できない』と口酸っぱく言われました。その言葉は今でもすごく頭の中に残っています」
元の記事はこちら
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この時期、見事合格を手に入れた
受験生の皆さんが努力されたことは
間違いありません。
しかし身につけた力、出した結果を
誤って自身のアイデンティティに
してしまってはそれは即“下山の失敗”を
意味するものとなります。
憚(はばか)りながら・・・、
今受験生活を終えた
みんなのアイデンティティは
あくまで“◯大合格”や
将来の“◯大卒”ではなく、
“鬼の粘りで、千日の稽古を鍛とし、
万日の稽古を練とする人間”
“千里の道も一歩からを、まさに実行できる人間”
です。
みんなみたいに高学歴な人たちは、
いつも低姿勢で、縁の下の力持ちで、
教える立場でなく、常に学ぶ姿勢でいて、
それであるとき何かの拍子に
「学校はどちらなんですか?」
って聞かれてそこで初めて
「◯大です。」
って言うのがいいんです。
予備校の先生とかでも、
高学歴な人もいれば
そうでない人もいますが、
カッコイイ高学歴の先生ほど
自分の出身校は聞かれない限り、
言わないものです。
中途半端な奴ほど高学歴っていうのが
自身のアイデンティティみたいに
なってるものです。
ちなみに私も違う意味で
聞かれない限り言いません。笑
(聞かれたらいつも言ってるけど・・)
例えば、大阪桐蔭の西谷監督は
いつも勝利インタビューでは
常に
“勝たせてもらった”
と仰っています。
これを“by相手チーム”を
つけて受動態的な表現だと
勘違いして解釈すると
下手したら嫌味に
なり兼ねない表現ですが、
当然、そういう意味で
仰っているのではなく、
“主語が神様”の使役動詞の構文
( “人に◯◯させる”の文)
なんだと思うんですね。
そういう表現を使うことで、
“我々が(相手より)努力したから勝ったんだ!”
というニュアンスを消し、
“相手チームも素晴らしい努力をされたが
今日は我々が神様に味方して頂いた”と
相手を称えるニュアンスを添えると同時に、
自分たちの力に対する過信にも
引き締め(油断すると次は分からない)を
図るという意味なんじゃないかと
私は思っています。
(やはり良い指導者には
必ず“言葉”とそれを伝えるに足る
“説得力”があります。)
本当にカッコイイです。
一度登った山は下山しなければならない。
何らかの結果が出たとき、
心地の良い達成感を得られたときほど
思い出したい言葉です。