土曜にグリットってタイトルの

記事を浪人生の子とのやり取りを

キッカケに書きました。

(最終的に慶応の商学に行くそうです)

 

 

自分で書いた記事でありながら、

それからず〜っと高校生、中3生を

眺めながらグリットについて

考えていました。

 

 

そう、グリットです。

 

何かの目的を達成するためにとてつもなく長い時間、継続的に粘り強く努力することによって、物事を最後までやり遂げる能力のことです。

 

受験も人生も“リーグ戦”ていうのが

私の基本スタンスで、

受験と人生とどちらも

勝ったり負けたりを

繰り返しながら

進んでいくものだと

思っています。

 

 

成功は決定的ではなく、

失敗は致命的ではない。

大切なのは続ける勇気だ。

 

という言葉を残したのは、

イギリス史上最高の宰相チャーチルですが、

もしこれが本当にそうなら、

成功や失敗以上に“続ける勇気”、

すなわちグリットが

一番大事であるということになります。

 

 

受験も人生もある角度から見たら

トーナメント戦のように見えても、

その本質はリーグ戦だと私は思います。

 

つまり連勝もいつかは終わり、

連敗もいつかは終わると。

 

大事なのは連敗中に

不貞腐れないことでしょう。

 

 

特に中高生っていうのは

まだ15年前後しか生きてませんから、

つい上手くいかないことがあると

すごい不安になりますし、

下手したら、それを大人から

「ヤバイ、ヤバイ」と言われるわけです。

 

でも冷静に考えたら中高年になった

大人の方が15歳前後の若者よりも

何かと100億倍はヤバイ。笑

 

 

 

それはさておき、私は塾講師なので

本業に沿ったところへ話を持ってきますと、

やはりこれまでいろんな受験生を見てきて、

一番大事なのはグリットだと

君が好きだと叫びたいくらい

叫びたいわけです。(意味不明

 

 

どんな学校でもいい。

 

確かにそうでしょう。

 

しかし勉強面、スポーツ面、

いずれにしても上のレベルに

行けば行くほどグリットお化けみたいな

人がたくさんいて、自分を省みざるを得ない

ような環境にはなっています。

 

昔、PL学園の野球部で

桑田さんの後輩だったという方と

お話をしたことがあったのですが、

その方が仰っていました。

 

「桑田さんでもこんなに練習するんだ・・」

 

これ、灘や東大行った子も

例外なくみんなこういう話をします。

 

 

一方これが逆ならどうでしょうか?

 

 

下に行けば行くほど

グリットの低い集団となり、

反努力主義者の集いと化し、

ひどい場合、最終的には

“全て世の中が悪い”と

なるのではないでしょうか。

 

これでは人生100年時代ちょいキツイ・・

 

 

究永舎は私をはじめ、

みんなでグリットの

高い集団を目指します。

 

 

ハイブリットならぬ、

ハイグリットです。

 

 

グリットの無い子というのは

実はそれは自分で分かっています。

 

だからこそそこには触れられまいと

別の箇所に何かと原因を見出す傾向があります。

(言い訳やコンディション不良の訴えが多いタイプ)

 

だって自分でグリットが

無いということを認めたら

その子にとってそれこそが

完全な敗北となり、

(他の誰でもなく自分が100パー悪いと受け入れること)

自我が保てないからです。

 

 

たぶん、人生はリーグ戦。

 

勝つときもあるけど、

どこかで負けることもある。

 

そのウネりを離見で捉えつつ

進んで行きたいです。

 

ハイグリット集団。

 

驚異の粘りの集団。

 

そういった教室になりたいですよね。

 

 

 

て、うわ〜・・

こんなん書いてたら

また遅なった・・・

 

おやすみなさ〜い!!!