・・・は、いろいろとあると思うのですが、個人的には「就活(転職)のエントリーシート」に書く以外の理由があまり思い浮かびません。

 

お医者さんなどの資格取得、および研究職志望の方、箱根駅伝を走りたいなどの場合はともかくとして、おおよその人にとって「就活(転職)のエントリーシート」に書く以外の理由で大学に進学する理由は何でしょうか?

 

まず、自給自足を志す場合をのぞいて

生きていくためにはお金を稼いでいかなければならないのですが、お金を稼ぐというのには大きく分けて2種類があると思っています。

 

①団体に所属する方法。

②自力

 

で、個人的には具合が悪いと思っているのは現在の学校教育体制では①の生き方しか提案されていないということなのです。逆に言うと①の戦略を取ると決めたならば大学進学(学校成績や模試の成績を取る)は現在の日本では絶対的に優位な戦略であると思います。

 

 

 

ただ、

 

現在社会問題なるものは多々あれど、学校に絡んだ問題、例えば、体罰問題、いじめ問題、スクールセクハラetc...

 

これらは全てその根っこは①を最初から前提とした教育体制にあるとしか個人的には思えていません。

 

なぜかと言いますと、①の生き方を志す場合、一番重要なのは“上”に従うことだからです。

 

たしかに②の生き方を選んだとて、結局は社会構造諸々に従わなければならないことには変わりはないのですが、今はいったんそういった構造主義とも言えるような角度からの考察はさておき、“一般的”と予想される見解からの角度で書いていきます。

 

さて話を戻しますが、①の生き方をするという前提であるならば“上”に従うのは当然の因果となります。

 

なぜならば①の生き方とは先立が築きあげたリソース、轍をフルに利用して何かをすることになるのであり、そこには当然先立が設定したルールに従うということも織り込まれるからです。

 

先立のものは利用させてもらうが仕事のやり方は好きにさせてもらうというジャイアニズムスーパーマックスな生き方が許される会社などがあれば素敵かもしれませんし、実際ある程度それに近い環境もあるようですが、99%の団体ではそれはありえないことです。

 

また仮に海外企業のようにその団体に付属するもろもろを利用でき、かつ好きにすることが許される会社というのはほぼ例外なく成果報酬制であり、簡単に言えば、その団体の“上”が「要らん!」となればクビがルールなので、そういう団体に属する人は実質は②の“自力”に近いと思われます。

 

で、

 

結局何が言いたいかなのですが、②の生き方をする場合は「大学(高校)は要らん」ということなのです。

 

これは間違いありません。

 

さすがに塾の先生となった今となっては一応「大学行ってました」というセリフは言えて良かったな〜(笑)とは思いますが、これが私の場合、もし受験以外の商売で個人事業をやっていたとしたらおそらく大学に行ったことを死ぬほど後悔したでしょう。

 

昨今、よく大学入試改革が話題となりますが、それ以前に大学に通う意義の方が問題だと思います。

 

大学入試改革が叫ばれる根本的な問題意識としてはよく言われているように「なぜ日本からFAANGが誕生しないんだ!?」的な問題意識があると思うのですが、それは幼少期から飛び級無しでみんな同じカリキュラムで大学進学が前提となった学校教育、②の生き方を知らない大人に“従わなければならない”という前提の学校教育があるからに他ならない、すなわち、結局大学入試そのものがあるからですよ的な皮肉な回答がすでにあるように個人的には思えて仕方ないです。

 

いや、確かに大学は世の中に当然必要なのですが、そこまで行くか否かはその時期も含めて、もっと社会的に緩くてもいいのでは?と思います。

 

 

 

 

 

なぜ勉強をするのか?

 

 

 

 

 

とう手垢にまみれたクエスチョンが世の中にはあるのですが、これって「やりたいから」以外の勉強って、勉強じゃなくて、労働とか作業だよねと不思議な感じがする(「やりたいから」以外の理由を言う大人ってたぶん勉強って子供のときに“やらされた受験勉強”しか知らないのでは・・・)のですが、たぶんなんですけど、子供が勉強しない理由って、まず周りの大人がやってないというのと、にも関わらずそのやってない人たちから小さい時にいろいろ制限かけられて、押し付けられて面白く無いからだと思うんですね。

 

まぁ、要は仕事やりたくない大人にとっての仕事と同じ構図というか・・・

 

 

巷の、東大生になれる子供はこうだ!的なの(例えばノートが綺麗だとか)には「自分の知ってる生徒は違うけど・・」みたいなのが多いのですが、唯一「親も読書家」というのは生徒さんに聞いたら大方そうだと思います。

 

 

 

10代を甲子園を目指して過ごした私からすれば“勉強”とは受験勉強ではなく、美味しいものを食べるためにする、そのために人を喜ばせるためにする、すなわち、勉強とは常にやりたいからする、もっと◯◯したいからするものなのであり、俗に言う「儲からない」というのはやはりそれはいろんな意味で勉強不足なんだと言うのが個人的な思いだし、不足してるものは補うべきと思います。

 

とりあえず“ベンキョウ”した帰結として自分のやりたいことが分からないとか、自由がなくなる確率が高いというのはあんまりだなと。笑

 

 

全部自分で背負おうよと、でも自由なやり方で人に喜んでもらって美味しいもの食べて寝たい時には10時間寝られる生き方ができるように勉強しようよ!と。(いや・・・、これも違う??)

 

少なくとも若い人にはそういったセリフが言える大人でありたいなとは思っています。

 

 

 

できれば・・、できれば・・・・・・・、100人に100万円ずつ配布できて、女優と月に行けたらもっといいのですが。

 

 

 

読んで下さってありがとうございました!!

 

 

 

本日から始まった近大受験生の健闘を祈ります。