勉強はやらせるものと

思っている大人ほど、

やはり大人になって

勉強をやらされなくなると

全然勉強はしないんですね。

 

 

 

あれ? 前回、興味を持って

1つの分野の本を時も忘れて

読みふけったのって

いつだったけ??

 

・・・みたいな。

 

 

 

“やらせるもの”

 

だと思っているということは

 

“やらされないとやらないもの”

 

と勉強を定義づけているワケであり、

そりゃ、年をとるごとに

(“上にいる人”が減ってくから)

何も学ばなくなるよという

話なんだと思うんですね。

 

悲しき有言実行だと言えます。

 

 

 

私は勉強とは、

 

なりたいものになるため、

 

それを学ばずにときを過ごした場合と、

それを学んでときを過ごした場合とに

待ち受けるそれぞれの未来との間に

生じる差異を解消し、

欲する未来を手にするため、

 

日頃の疑問を解消するため、

 

興味のある他者の人生・経験・思考を追随し、

できれば自分の人生にとっても

有意義な何らかの新たな

脳内神経回路を通電させるため、

 

 

 

それら全てのために

 

自然と学んでしまう行為

全てが勉強であり、

風呂食事排泄と

同じルーティンに

あるものだと思います。

 

ただ・・・、

 

これといった欲も疑問も関心も

持っていなければ勉強することは

上記のルーティンには含まれないでしょう。

 

人生は能動的でないとつまらない、

つまり受動態、常に“by~”が

ついて回るという人生は

面白くない・・・のかもしれない。

(やったことないから分からんけど)

 

ZOZOの前澤社長を

叩く人なんかは

典型的なそれだけど、

自分より上手くいってる人を

信じず否定すれするほど、

当然、自分はその価値観からは

遠ざかっていく・・・

 

 

ということは

自分が求める価値観というのは

全力で肯定し、全力で実践を

試みない限り、手にできる確率は

ほぼゼロということになると思うんですね。

 

 

金持ちを否定する人が

金持ちになることはないし、

 

モテる人を否定する人が

モテる人になることもないし、

 

好きだけでは

食べていけないという人が

好きだけで食べていけることはない。

 

 

たぶん・・・

 

 

 

 

 

そういった意味では

“勉強をやらせることに定評のある塾”に

通わせながらにして、

「もっと自分から積極的に考えて

勉強してくれる子になってくれたら」

などと期待するのは、

金持ちをどこか否定的に見ながら、

「お金持ちになれるんならなってくれたら・・」

というのと同じくらい矛盾しまくりです。

 

 

否定した価値観を

手にすることは

難しいです。

 

 

今日究永舎で自習する子供たち、

高3受験生、一部の中学生の子たちのように

学校終わって即自習→22時過ぎまでの

子たちを見ながらそんなことを

ふと考えてしまいました。

 

ここでも、もちろん、

それはデキる子たちだからだろ!

っていう塾の先生の生徒さんや、

保護者様のお子さんが

そういった超能動勉強型に

なられることもないでしょう。

 

大人がしてあげられることは

意外と少ないような気がするんですが、

大人の思考が与える影響は

きっと大人が考えているよりも

大きいと私は思います。

 

 

 

 

 

それにしても

“拝啓 前澤社長。”の

広告は心の底から

感嘆しましたよね。

 

どんな経営者と会社やねん!?って 笑

 

社長さんも社員さんも

皆がやりたいことがある!っていうのは

ホント幸せなことですよね。

 

 

 

人生に王道は無いけれど、能動はある!

 

 

 

・・・うん、

そんな上手い!

ってわけではないね。