不思議なもので年をとるにつれ、

年々、高校野球にのめり込んでおります。

 

 

 

このブログの長年の読者の方なら

ご存知のように私も元高校球児でした。

 

 

球拾いでしたけれども・・・

 

 

 

 

そんなわけで若い頃は

どちらかと言えばやや嫉妬気味に、

そしてほろ苦いものとしてしか

捉えられなかった高校野球。

 

 

しかしワケの分からないもので、

冒頭に書きましたように

私が年々高校野球に

魅せられているのは

間違いありません。

 

 

理由の1つとしては、

メディアが紡ぎ出す

“美しい”人間物語に

単純に感動してしまう

というのがあります。

 

 

私はどちらかと言わず、

“この夏一番の感動・・”とか

“全米が泣いた・・”的なものよりも

重松清的な街角の切ない

人間物語が好きなんです。

 

 

人生、思い通りいかないときが多い、

また、どれだけ年をとっても

分からないこと不安なことは

消えない、というか下手したら

そういったことは増えていく・・・

 

・・・それでも明日が来る以上、

前を向いて歩いていくというのが

基本的な人間の姿だと思うんですね。

 

 

昨今のSNSブームとか、

YouTuberを見ていると、

何かこう“添加物満載の人間”ばかりの

ような思いが、私はしており、

それと比べると、高校野球や、

それに限らずW杯などのガチな

スポーツ大会に取り組む選手たちや

そこに思いを込める人々の姿っていうのは

非常に純粋なその人の姿だと思って

安心して見ていられます。

 

ていうかボールをバットで

かっ飛ばしたりする瞬間や、

死にものぐるいでゴールを目指す際に、

嘘偽りの姿では何もできやしません。

 

自分をちゃんと持ってる人ほど

良さそうに見えるものよりも

嘘偽りのない姿に本能的に

安心感を覚えるものだと

私は思います。

 

昨今のスポーツ大会には

もちろんメディアが作り上げる部分、

“見せる”部分もあるとは思うですが、

それでも高校野球で言えば、

部員の球児やマネージャーさん、

またそこに思いを込めるご家族の

姿は“飾りのないもの”でしょう。

 

そこに人は安心感を

覚えられると思います。

 

 

 

昔、秋元康さんが本の中で

 

「好き嫌いのある人間は信用できる」

 

と仰っていたのですが、

 

たぶんこれも“好き嫌い”のあるのが

人間本来の姿だから、

「嫌いな人はいません」

などと言う人間よりも、

「嫌いな人がいる」という人間の方が

秋元さん的に安心できるということなのでは

ないでしょうか。

 

嫌いな人と笑顔で接する人間ほど

気持ちの悪いものはありません。

(私みたいに露骨なのもダメだが)

 

 

確かに純粋に見える球児が

地元では悪で有名、

酒・タバコまみれ・・・

そんな話は枚挙にいとまがありませんが、

それでもグラウンドで白球を追う姿、

どうしても勝ちたいんだという気持ちに

嘘偽りはないと思うので、

そういった・・・、

まあ言わば“偽りのない姿(瞬間)”が

好きな人が世の中に多いから

高校野球は続いているのかなと思います。

 

 

これをお読みの読者様は、

本気で・・・・、そして、

嘘偽りを挟む余地のない、

無我夢中の感情で、

何かに思いを込めて

時を過ごされたのは

最近ではいつのことですか?

 

 

私事で言えば、

大手塾を辞めて

手に入れられたもので

一番大きいのは

実はこの部分だと

思っています。

 

今の自分の気持ちに

嘘偽りが少しでもない方が

そりゃあ楽しいに決まってます。

 

おっと、余計なことを

書いちゃいました・・・

 

 

今日は最後に、

昨日私がネットで読んで

いい話だな〜って思った記事

皆さんと共有しておしまいです。

 

 

チャオ〜(。・ω・)ノ゙