と言いつつ、

麺哲さんから

教室に帰って来て

また書いてるという・・・

(これがアップされてる頃には

家でワールドカップ見てます)

 

ついでに教え子の子がバイトしてる

駅前のローソンにも寄ってきました〜笑

 

とりあえず醤油ラーメンと卵かけご飯で

月火と頑張ったお刺身ダイエットは

無事雲散霧消と化しましたです、はい。。。

 

 

で、ええ〜・・・何でした??

(ラーメン美味すぎて忘れた!)

 

 

 

 

コホンっ・・

 

 

私はこの仕事を始めてからというもの、

 

そして教室を開いてからというもの、

 

いろんな生徒さんを見て来ましたし、

いろんな職員、求職者の方と

出会ってきました。

 

そして自分という人間が

どうして今の自分みたいな

人間なのだろうか?

なんてことも

たまに考えてきました。

 

そして現段階での

個人的な結論としては

わりかし自信を持って

言えるのですが、

 

人間というものは

同じ人間からの影響、

そして特に親、

多くの場合は母親の影響を

たくさん受けるということを

ほぼ実体験をもとにして

実感しております。

 

なんで母親か?っていうと

これも一般的に子供と接する時間が

幼少期から一番多いのが

母親だからだと個人的には

思っております。

 

つまり母親どうこうを

言いたいのではなく、

単純に幼少期から一番

接する時間が多い人間から

人間は影響を受ける、

 

たぶんそういうことなのかなと・・・

 

ヤフコメなどにも

たまに書かれておられる方がいましたが、

例えば児童虐待を犯した

その母親なんかは一体親から

どういう接し方をされていたのか?

っていうのは確かに知りたい気はします。

 

まぁ、もう犯罪者などの

話は終わりにしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ええ、例えば・・・・

 

 

 

子供たちが頑張って勉強している

地理なんかで習うのですが、

それぞれの土地の特色というのは

その地形や気候、古代の環境などの

影響で自然と現状の農作なり牧畜なりが

行われるようになった歴史・・・、

というか必然性があります。

 

 

アメリカの五大湖近辺は、

古代氷河で覆われていた。

 

その氷の重みで土地が凹み

そこに残った巨大な水たまりが五大湖。

 

しかしそうであるが故に

残された土地には養分がなく

ヤセている。

 

そのため農作物は作れない。

 

しかし幸いメガロポリスには

比較的距離が近いため、

人々が日々消費するものさえ

生産できれば生計を立てられる。

 

そこで北緯50度付近の気候なども

手伝って結果的に酪農(腐らせることなく

都会の消費地へ輸送できる距離である)が

行われることになった。

 

的な・・・

 

 

いやいや地理の話をしたいんじゃないですよ。

 

 

私が言いたいのは、

これと同じように

人間は周りの人間が環境となり、

良くも悪くも仕方なく

そうなっていった経緯が

あると思うんですね。

 

少なくとも絶対に

無いことは無いと思う・・・

 

 

やや適当な記憶ですが、

昔何かで読んだのは、

イチロー選手は名前のわりに

実は次男なんです。

 

お兄さんが幼少の頃は

お父様の宣之さんは

工場経営が大変な頃だったそうです。

 

ところがイチロー選手が

幼少期の頃には工場経営は安定し、

イチロー選手が小学校から

帰ってくる頃くらいには

工場を社員さんやパートさんに

任せることができていたそうです。

 

そうして宣之さんと一朗少年の

放課後のバッティングセンター通いの

日々がはじまって・・・

 

これなんか典型的な、

人間が人間の環境として機能した

例ではないでしょうか。

 

イチロー選手は小3〜中3までの

7年間バッティングセンターが

お正月休みの1月1日以外毎日

通って200球以上は打ち込んでいたそうです。

 

しかも選球眼を養うために

宣之さんが打席の後ろに立って

ストライク・ボールの判定を下しながら。

 

364日✖️7年間そんなことに

付き合える大人の人なんて普通いません (驚

 

 

 

学校選びの話をする際に

私は生徒さんにもよく言うんですね。

 

設備や見た目や

名前の響きなんかは

1週間で飽きるよと。

 

ただし、どういう集団(人たち)に

属するのかは選んだ方が

いいかもしれないよと。

 

 

結局、中身というのは

“外壁”で決まってくるんじゃないかと

私は思うんです。

 

水は四角の器に入れば四角になり、

丸い器に入れば丸くなる。

 

それと同じなんじゃないでしょうか。

 

 

私の場合、遠い昔を思い返しますと、

やはり特に母親が「ちゃんと自分で

稼いでいけるようにならないといけない」と

あきらかに頻繁に言ってましたし

(実際はもっとグロい言い方してましたが・・)、

父親にしても「絶対にどこへ行っても

通用しない」とはっきり言ってくれていました。

 

今思うと父親は当時は

銀行で支店長をしていましたので、

バブル崩壊後の中小企業の社長さんたちと

毎日のように接していく中で

人が生きていくことの厳しい側面も

目の当たりにしていたんじゃないかと思います。

 

まぁ、そんなこんなで

小さい頃から私の意識の中では

“どうやって食っていくか?”という

発想・意識は常にあって、

そういったわけで大学生の頃から

働いて自分で稼ぎを出して

いっていたのは必然だったと

自分では感じています。

 

少なくとも個人的にはそうだと

実感しているので、となれば、

今が幸せだとなれば

それはやはり親のお陰だなと

自然と感じるようになりました。

(もちろんこれまで出会ってきた

友人・先生方・先輩方の影響も大きいです。)

 

具体的に上げるのは難しいですが

何をしてくれたとかじゃなくて、

自由に生きていける

仕様にしてくれたことに対して

心から感謝申し上げる次第でございますです。

 

きっと究永舎の生徒さんも

社会人になって、自分なりに

幸せが理解できた頃に

お家の方への感謝の念が

心の底から自然と湧いて

出てくるんじゃないかって思います。

 

さすがに30半ば越えてからは

遅過ぎるような気がしますけどね。汗

 

おわり。