この仕事・・・、

 

すなわち塾講師ですね、はい。

 

 

 

 

ホントに飽きないですね・・・・

 

 

 

 

なんでもそうだと思うのですが、

 

人間、夢中になってる時間!!!!

 

っていうのは全てを忘れてますよね。

 

 

私は授業中、

 

 

ば〜〜〜〜〜〜っと

 

 

真面目なことアホなこと

い〜〜〜〜っぱい喋るんですが、

 

 

その間っていうのは

ホントに全てを忘れて

喋ってますよね。

 

 

一応人間なんで、

授業やってる時間以外のときに

イヤなこととかも

たまにあたっりするんですが、

授業で喋り倒して、

生徒たちのいい笑顔見て、

気付けば授業終了時間間近で

 

ヤヴェっっ!!!ってなって、

 

最後授業締めて

みんなが帰った後って

 

「あれ?なんかさっき

イヤな気持ちになって

なかったっけ????」

 

みたいなことはしょっちゅうです。

 

 

 

子供たちにもたまに言うのですが・・、

 

 

 

悩みというのはいつかは解決する、

つまり今こうしている間にも

刻一刻と解決に向かっている・・、

 

すなわち

 

どんな結末になったにしろ、

 

生きている限り、

いつかは今の悩みから

解放される日が来ます。

 

でも悩みから

解放されたはいいが、

そうなったらなったで、

 

はて、何しよ?

 

何のために生きるんだ?

 

みたいなことになったら

シャレにならないし、

おもしろくない。

 

だから

 

“こうなろう!”

 

“こんなんしてやろう!”

 

っていう目標や、

 

何のため??っていう

大きくても小さくてもいいから

個人的な大義が重要になってきます。

 

ダメな意味でシンドイときって、

おおよそ気持ちがシンドイ部分に

フォーカスされていて、

 

“何のため?”っていう大義が

忘れ去られている状態です。

 

 

死にたいと思っている人ですら、

通勤中に腹痛をもよおせば

必死にトイレを探すでしょう。

 

そしてその間は死にたいとは

思っていないでしょう。

 

さすがに死んでる姿がク○まみれでは・・・

 

すなわち人間、

悩みのサイズ自体を

小さくすることはできなくとも

気持ちの中での比率は

小さくすることができます。

 

 

お釈迦様が仰るように

「集中して生きよ!」

というのはそういう効能が

あるんじゃないか?っていう

独自解釈で勝手に私は生きております。

 

 

要は夢中になっている間は

全てを忘れているってことです。

 

 

だから成績が良かろうが、悪かろうが、

夢中になって生きる大人になれれば、

きっとその子は幸せになれるというのが

私が思っていることなんですね。

(保護者様のご期待に応えたい!

っていう思いがあるというのは

言うまでもないですよね?)

 

 

 

 

 

のめり込めることを見つけるべきです。

 

 

 

 

 

そしてそのためには

自分の心の声が聞こえる状態であるのが

望ましい状態であるため、

あまり周りの大人が騒ぎ立てるのは

望ましい状態ではないのかな?と・・

 

 

 

 

 

正直、明日も授業するのが

楽しみで仕方ないですよね。

 

 

18年やってますけど、

いまだに「ウマくできるかな??』って

いつもちょっとだけドキドキしてます。汗