またいつものブログからのリンクです。
(勝手に貼付けてます、スイマセン。。)
たしかに ↑ と同じことを
お考えになる方は多いのではないでしょうか?
親愛なる究永舎ブログ読者の皆様は
いかが思われますでしょうか???
(どうでもエエわ!という意見もあるかも)
とにもかくにも目の前のツラい現実から
逃げることを最優先することは大事でしょう。
(私も大学が嫌で嫌で嫌過ぎて
いつも難波で心が折れて
地下の喫茶店に避難しておりました・・)
しかし、おそらく上のブログ記事を
書かれた方は、“でも結局またその後に
形を変えて苦しむ可能性があって・・、
(おそらく結構な確率であって・・)
そこ解決できていないよね”、と。
そこを問題視されているのではないでしょうか?
これは何も子供と学校に限った話ではなくて、
普段、転職希望の方と面接をしていても
似たようなことをよく感じることなのですね。
“教えるのが好きなんです”
“◯◯が大切だと思うので
そういったことを子供たちに伝えたくて”
“授業に集中できる環境が欲しいんです”
みたいことを仰る方は多いのですが、
それ以前に私が思うのは
あなたは子供たち、保護者様が
お金を払ってでも教わりたいと
思ってもらえる人間ですか?
少なくともそこを目指せる人間ですか?
ということです。
だって、
自分が子供なら
自分が親なら
そういう理屈になりませんか?と。
世の中は自分のために
あるわけではないので、
欲しい環境を自分で創るか、
欲しい環境に欲しがられる自分になるかの
どちらかにならないと結局また
似たような苦しみを味わうのかなと・・
(他人がとやかく言う問題ではないのでしょうけれど..)
支援するべきはする必要があります。
ただ、嫌だったら“最終的には”
自分が変わるしかないんだよ
っていうことは揺るがないような気がします。
他人以上に過去の自分に
負けていることほど
悲しいことはないです。
大人になってから、のび太くんを
見てるとなぜかツラくなるのは
そんな自分の考え方にあると
今これを書きながら気付きました。笑
そして「はて?オレは変わってるのか?」
みたいなことを考えると怖くなってきますよね..(震