これ究永舎生には

ぜひとも知っておいて

頂きたいのですが、

ホントにイケてる人・・

 

 

1流の受験生や社会人の人って

 

シンドイか?シンドクないか?っていう判断基軸は持ち合わせてないんですね。

 

 

やりたいか?やりたくないか?なりたいか?なりたくないか?つかみたいか?つかみたくないか?おもろいか?おもろないか?っていう基軸しか持ち合わせていません。

 

つまりこういう人って

行動を取る際に

 

“シンドイからこのへんでやめよう・・”

 

ってことがあまりないので、

結果的に人よりも量をこなすことになり

実力者としてやっていけるという

構図がどこの世界にも共通して

あると思うんですね。

 

人は必ずしもシンドイから

行動を取らない生き物ではありません。

 

毎日走る人、筋トレする人、

炎天下の中あえて甲子園まで

野球を見に行く人・・・

 

ある意味、そういう行動をとった方が

絶対“シンドイ”のにあえてこういった行動を

取る人たちはその全てが先述の

 

やりたいか?やりたくないか?

なりたいか?なりたくないか?

つかみたいか?つかみたくないか?

おもろいか?おもろないか?

 

をベースにしていると思います。

 

 

とにかく傍から見た際に

『努力』と言われる行動を

人よりも取る人間であるためには常に

 

やりたいか?やりたくないか?

なりたいか?なりたくないか?

つかみたいか?つかみたくないか?

おもろいか?おもろないか?

 

が思考のスタートでないと

いけないと思うんですね。

 

そういった意味では

結局最初から

 

シンドイか?シンドクないか?

 

から始まる人というのは

まず見込みは薄いと踏んで

およそ間違いはないかと思います。

 

ていうかそういう人に限って

段々と人生おもしろくなくなっていって、

結局“シンドク”なっていくんですよね..

 

やりたいか?やりたくないか?

なりたいか?なりたくないか?

つかみたいか?つかみたくないか?

おもろいか?おもろないか?

 

 

いや、そんなん言うても

みんながみんなそんな

やりたいことやるなんて

無理やんっ!ていう段階で

非常に残念ながら、

それは“シンドイから”が

発想の根拠になっていることを

自覚しないといけないかなって・・・

(書くべきじゃなかったかもしれませんが)

 

 

劇の練習に励む

豊高生見てたら分かりますよ。

 

あ〜、みんなやりたいことは

めっちゃ頑張れるんだな〜って 笑

 

オレも来世は共学校だな〜って 笑

 

 

お休みなさ〜い!