タイトル通り結構真面目な話です。

最近読んだ佐藤優さんの本の中で、
佐藤さんが影響を受けたという
灘→東大卒の先生の話のくだりがあり、
その先生が少年時代の佐藤さんに
語ってくれたという灘の生活について
以下のような記述がありました。


クラスメートに
「こいつには絶対にかなわない」
という凄いやつがいる。
そういう人との出会いが
若いうちにあると、努力すれば
なんとかなるという幻想から
抜け出すことができる。



逆説的なモノ言いになりますが、
全力でやってないから
努力すればなんとかなるという
発想になるというのは確かに
この仕事をしていたら
よく出会う光景です。



いやいや・・、
そんな今さら頑張ったって、
あなた散々好き放題してきたじゃない・・・

と心の声で冷たい声を放ちつつ、

いや、でもしかし、
せっかくやる気になってるのに
そこに水を差すのはためらわれる・・・

頼って下さる保護者様のお顔も
思い浮かぶ・・・



・・・的な葛藤は塾の先生なら
どなたでもご経験はおあり...ですよね??

特に高校受験と比べると
大学受験はノーサイドの
ホイッスルが鳴るのは
普通の公立高校生の子にとっては
本人には聞こえていないだけで
実はわりと早いです。

灘や北野の上位層のように
全国水準での数学の能力がある、
または東大京大に毎年複数合格者が出る
高校に通う生徒、つまり、自分が
ノンビリであっても周りを見渡せば
“正しい水準”が常にいてくれる
学校の生徒でないと本当に高3夏からの
逆転は難しい・・・

そこを逆転できる!というのが
一般的な予備校商法です。

私が祈祷すればガンは消えるという
詐欺師と基本的には同じスタイルですね。


閑話休題。



では、佐藤氏が本の中で
挙げられた話題のように、
努力でなんとかなるというのが
幻想だった場合、つまり、
努力ではどうにもならないことが
あるというのが正解だった場合は
どうすればよいでしょうか?

私が個人的に思うのは、
だからこそ、進学、就職などの
一般的に進路と言われる分野に
ついてはド真剣に検討しないと
ダメだと思うのです。

つまり努力が報われそうな志望校や
仕事を全力で選ぼうとする姿勢が
大事だと思います。
(むいてない分野、あるいは
間に合わないタイミングで
どれだけ頑張ったって
絶対に無理ですから。)

そのためにはまずは自分の限界、
つまり努力でできそうなことと
できなさそうなことを感覚的に
つかむ必要があります。

全力で努力する意義は
おそらくそのために
あるんじゃないかと
最近勝手に思っております。
(などと言いながら、高校生を見ていると
自身のあまりのカリスマ性の無さに
オレ仕事間違ったなと思うことは
いまだによくある次第です...)