毎日暑いですね~ヽ(;´ω`)ノ

皆様いかがお過ごしでしょうか?

究永舎は木~日はお休みを頂いており、
(自習室は使用可能)
いよいよ明日からまた通常営業となります。

ちなみに本日もイシマル子氏が
14:00~18:00でヘルプに
来て下さるので高校数学で
質問がありそうな方はぜひお越し下さい。


私はと言えば・・・

時間割の修正もほぼ完了し、
今日の朝は雑誌を読んで
ノンビリ過ごしておりました。


私的には今年も高校野球の季節とあって、
思わずコンビニで手に取ってしまったのが
今週の・・・

です。

この迫力で高2とかやめて~・・・笑


まぁ、清宮くんもいいのですが、
個人的には

この記事を読みたいと思い、
購入致しました。


当時まだ弱小だったチームに
監督の猛烈な勧誘により、
中学時代に全国制覇を果たした
メンバーのうち6人が入部した
1980年代初頭の大阪産業大学附属高校。

レギュラー9人中、
前述のメンバー含む8人が
1年生という異色の布陣で
秋の大会でいきなり大阪3位となり、
メンバーのうち誰しもがそのうち
甲子園には行けるだろうと
思っていた次の年...

他校の1学年下に

2人の怪物が現れ・・・


これはそんな怪物たちに
挑んだ当時の大阪産業大学附属高校
野球部の方々の物語です。

場面は1984年夏の大阪大会決勝。

2点リードのPL学園8回裏、
1死二塁で打者は2年生の4番清原。

産大高はここで打たれれば限りなく
甲子園へのチャンスは遠のくという
絶体絶命のピンチ・・・

そこで監督が作戦を伝えるために
伝令の選手をマウンドへ送るのですが・・・







それから30年以上の月日が経ち、
当時の産大高のメンバーの皆さんは
社会人としてその後の人生を歩まれているそうです。

清原氏が現状のようになった今、
この記事を読むと改めていろいろ
考えさせられるものがありました・・・




私も昨夏。

教え子の試合を見に
自身の夏が終わって以来
16年ぶりに万博球場へ
足を運びましたが、
万博球場は何1つ
変わっておりませんでした。

当時の記憶はありありと蘇り、
ホントにあれから16年も
経ったのかな????と
不思議に思うほどでございました。


高校野球は変わらなくとも、
歳月は青年だった球児たちを
確実に変えていく・・・

このコントラストを
昔を回想しながら楽しむのが
かつての高校球児だった
オッサンたちは好きなんだと
自分がオッサンになったら
よく分かります。


今年は受験生もそんなに
自習しない人ばかりだし、

久しぶりに甲子園に足しげく
通おうかなとか思ったりしてます...(泣)