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  「利他の心」って、本当は・・・


「利他の心」を調べてみると、「自分を犠牲にしても、他の人を助けようとする心」と出てきます。

自分のことよりも相手のことを考えて行動する、とても美しい心、のように受け取れますが、何か引っ掛かるのです。「自分を犠牲にしても」の部分が。

この言葉はとてもきれいな言葉のように聞こえますが、解釈を間違えると全く逆の結果を招いてしまいかねない危険な言葉だな、と感じるのです。

実際にこの言葉を実行して、苦しくなってしまった人がたくさんいるのではないかと思います。特に真面目で優しい人が、この言葉の罠にかかってしまう気がしてなりません。

真面目で優しい人が、この言葉の罠にかかってしまうと、自分のことより他人のことを優先して、自分が苦しくなっていくのです。自分が苦しくなっていくと、その結果、結局人を助けることなど出来ません。

つまり「自分を犠牲に」していたら、人を助けるどころか、自分のことすら助けることが出来なくなり、全く持続可能ではないのです。

私はこの「利他の心」というのは、「自分を犠牲にしても他の人を助ける」のではなく、「他の人のことも、自分のことと同じように感じる心」なのではないかと思うのです。他の人を救う前に、自分のことも救うことが出来ていなければ、本末転倒だと思うのです。自分のことを助けることが出来た上で、他の人も自分のことと同じように助ける。これがとても自然な姿だと私は思うのです。

「自分を犠牲にして」いると、都合よく人を扱おうとしている人から簡単に支配されてしまいます。その関係にはまってしまうと、どんどん自分の気力は失われていきます。自分の気力が弱ってしまえば、力がないわけですから、他の人を助けることなど到底できません。

「自分を犠牲に」するのではなく、「他の人のことも自分のことと同じように感じる」という所を目指して行けば、自分のことも、他人のことも助けることが出来る、持続可能な状態なのだと私は思います。

人に対してだけではなく、他の生き物や自然に対しても、自分のことのように感じることができたら、無理をせずに、自然と行動が変わってくるのだと思います。

自分を大切にした上で「自分のことのように周りのことも感じられる心」を育てて行くことができたら良いなと私は感じます。

それが持続可能な捉え方だと私は思います。


 
今朝の太陽♪☀😊
元気いっぱい♪✨✨✨😄

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