こんばんは。とよみです。

昨日の記事にアップした過去世である「女御さん」

彼女が自分自身で思う、彼女の人生はどんなものだったのか?

それを彼女自身へ尋ねてみました。

 

 

●女御さんの人生の振り返りについて
「他者に何かを期待する、というのは実はとても疲れることだと幼い頃に学びました」

「こちらからは相手に何も期待していなくても、勝手に【自分が想像した期待】に応えようとする人が苦手でした。そういう方は大概、自分自身が望んだ反応を私が返せないと勝手に怒ったり、機嫌を損ねたり、こちらに悪感情を抱きぶつけてきたりするからです。それなのに、そういう方ほど不思議と中々離れていってくれない、という面倒臭さが伴っていました」

「私は正直、自分の身の回りのこと、自分の手と目が届く範囲以外のことは何も出来ません。それどころか、例え届いたとしても全てをどうにか出来ていたのか、と問われると【否】と答えるでしょう。そして、殆どの人は私と同じようなものだと思っていましたが、その殆どの人は私と同じように見てくれないのがとても息苦しくて堪りませんでした」

「高い位置にいると、人の動きも、時の動きも、感情の動きもよく見えます。都合が良いときだけ寄ってきて、そうでなければ離れていく…そんな人達も不思議と(初対面であったとしても)わかるようになっていきます。けれど、なぜそういうことをするのか、というその人達なりの理由もわかるようになるので、誰も責めないし、誰も重用しないし、誰にも何か特別な感情を持つこともしない…というのが、私にとっては一番の処世術だと思っていました」

「夫もそうでしたが、娘は特に外の世界が嫌いで、高い位置にいたとしても、手元ばかりを見つめていたため、より遠くを見ることをしませんでした。(夫は必要だったので、時々なんとかものすごく頑張って見ていました)そのため、私が居なくなることで、娘が一人で動くことの出来る世界を娘なりに作って欲しい、見つけて欲しいといつも思っていました」

「ただ、私が用意したその【見つける・作るためのお膳立て】は全て失敗に終わったので、親の心子知らずとはこういうことをいうのですね、とは思っています」

「私の最後ですか…特に思い入れもありません。そろそろだろうな、と思っていた時にその時が来ただけなので、そういうものなのだろうと感じたくらいですね」

 

…ということでした。

 

自分が他者に「期待すること」と他者が自分に「期待すること」

それの違いを知っていたからこその「諦感」とでも言うのでしょうか…

それでも親子だからか、それとも大事だからか娘には「期待していた」こと。

とても理性的に過ごされていたその先の割り切りは、どんな気持ちだったのでしょうね。

 

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