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先週、ある忘れ物をしてしまい


今日仕事の合間に取りにきたところ


たまたま通りかかったのが


日本橋宝田恵比寿神社のべったら市!!!


何年か前にも偶然通りがかって覗いたのですが


こんなに混雑していたかなー


宝田恵比寿神社って商売繁盛の神様だったのですね。


通りがかりとはいえ・・・やっぱりお祭りって楽しいですね(^0^)/



宝田恵比寿神社とは・・・・

この神社は慶長年間に江戸城拡張のさい城内にあった豊島郡宝田村が、
いまの大伝馬町(本町三丁目むかしの大伝馬町一丁目)
に換地になったさい、現在地に移り、大伝馬町の
守護神として古い歴史をもっており、
宇迦之御魂神、素盞鳴命、大国主命、事代主命、大穴持命、少彦名命等六柱
を奉祀している。
御本尊の恵比寿様は、鎌倉時代の名匠運慶の作ともいわれ、家康が大江戸繁昌を
祈念して寄進したと伝えられる由緒深い江戸開発・商売繁栄の護神として、
多くの人々の崇敬を集めている。


べったら市とは・・・

十月十九日の「べったら市」と、つづいて二十日の「恵比寿講」の行事は、
昔から永い商家の慣習となっている。
「恵比寿、大黒、福の神」といわれるように、恵比寿様は、商家にとって商売繁昌の
祭神であるので毎年十月二十日にお祝いする。
江戸時代は、きわめて盛大にとり行われ、神前に鯛や柿、栗、大福をはじめとして
山海の珍味を供え、親戚知人、あるいはお得意さんを招待し、
平時の労を慰める機会でもあった。
この恵比寿講に使用する道具とべったら漬を売るのが、いわゆる「べったら市」である。
文化十一年(一八一四)の「遊歴雑記」によれば
「その日は天気だと朝から夜は子の刻
(十二時)まで、本町三丁目から大伝馬町の大丸屋までの両側の軒下に商人が
天地もなく居並び、声を張り上げて買い手を呼び競う・・・・
夜になると益々盛んになって広い往来をうずめる。
これは日本橋、本船町、安針町,小田原町などの魚問屋が持てあました魚を
ここへ持ち出して売り始めたのが例となったもので、
そのころは生魚だけで、悪口に伝馬町のくされ市とか、はなくれ市ともいった。
今は干し魚、塩魚もあって縁起の恵比寿大黒をはじめ
古着、小道具、小間物、瀬戸物、植木の類まで、
ないというものがない。」となってる。つまり、年に一度ここに何でももってくれば
いくらでも売れたという繁昌ぶいであり、特に問屋街の年に一度の大見切り売りと
いうことで地方からも商人が殺到し、歳の市の先駆として、
この市の売買によってその年々の標準が定まるといわれ、商家にとって重要な
年中行事となってきたのである。


参照:日本橋大伝馬町一之部町会 青年部