【陰隲録】改過㉑ 貴様の罪はその血で贖え!(in 献血ルーム) | (旧館)豊河怜の開運ネットワークブログ

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なお、コメントやメッセージやメールで、皆さんの陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、陰徳と結果の体験談を大募集中です。ご遠慮無く、書き込み下さい。
その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

 

 【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら

 

 

前回で、三つの改過のテクニックは終わって、
今回から、改過の章のまとめっぽい感じの内容です。


顧みると、まずは、願を発してスタートし、過ちを改めることから始める。
さらに、現世からは、良友の指摘を喜んで受け入れ、幽冥からは神仏の指摘を喜んで受け入れ、一心に懺悔する。

 

このような態度を昼夜怠らずにいれば、七日を経て、あるいは一月、二月、三月に至れば、必ずや効験があるものである。
 
 
 
【個人差】



ぶっちゃけ、陰徳行が、どのくらいから効果が出始めるのか?
となると、人それぞれとしか・・・。
個人差があまりにもありすぎます。
また、元々の業の個人差に加えて、陰徳や改過がどのくらい出来るかは、これまた人それぞれです。

また、どうも陰徳の種類によって、対応する果報のジャンルが違うような気がします。

例えば、中国の命理学では、血光の災いと言って、何か近々、事故に会うような運勢が検出された場合には、献血に行くと良いとされています。
理由は、血を先に流して、災害を先取りするという理屈です。
 
さらにその血が人の役にたって、陰徳になる。
そうすると、プラスマイナスで業が相殺されて、事故を防げると。
こういう理論です。


しかし、これによって、防げる事故は、あくまでも肉体的な怪我とかの事故であって、金銭的
 
な被害の運勢には、対応相殺は、出来ないそうです。
そんなわけで、金運を向上させたかったら、普通に陰徳に金銭を使うようにした方が、よいとは思います。
 
まあ、健康は金運と並んで、重要事項ですから、金運だけ望んでいたとしても、普通に献血などで、健康運も同時並行で上げた方がいいと思います。
金だけ持っても、病院のベッド生活では悲しいですし。


あと、余談ですが、私の体験だと、どうも、献血で提供する血液量が、「人一人分の血液量」を超えると、これが命運を変えるリミットの臨界点ぽい感じですね。
ここまで行くと、単に健康運だけでなく、根本的に自分の運勢が変わるような気がします。


その、「人一人分の血液量」ってどのくらいよ?
という質問が来そうですが、
ググって見ると、こんな感じらしいです。

全血量はおよそ体重の13分の1。約8%が血液である。
60kgの体重の人なら、およそ4.5リットルである。
この4.5リットルのうち、3分の1を出血などで失うと、生命が危険になる。


とあります。
体重は人それぞれですので、デブ 豊満なわがままグラマラスボディな人ほど、献血回数が多くなるということですね。
ご自身の体重で計算して見て頂くと、ある程度、算出出来るのではないかと。
400ML、200MLで何回分とか。

要するに、「人一人分の血液量」で、人間一体分の命を救う功徳になった(可能性がある)ということです。
献血は定期的に出来る、陰徳なので、現代ではお勧めの方法です。
多分、骨髄やら臓器移植なども、同じような理屈だと思いますが、血液は、安全に提供できますし。
 
 
 

【後の武蔵である】





剣豪として超有名な、宮本武蔵の五輪書には、

千日の稽古を鍛とし、
万日の稽古を練とす。


という、これまた有名な言葉があります。
要するに、三年と三十年です。

石の上にも三年という言葉もありますので、少なくとも、本来、三年くらいが、何かを変える目安なのでしょう。

また、人体の細胞の入れ替わりのサイクルが、一番時間がかかる骨で、三年だそうです。
あとは、これまた有名な「天才の練習一万時間説」も、一日フルタイムの9時間練習として、三年間くらいですね。


つまり、本来は、三年頑張れば、運勢をすっかり変えることが出来るということです。
しかし、ぶっちゃけ言えば、この三年と言うのは、単なる努力だけの時間です。
正直言って、陰徳という裏ワザを知っている我々、陰徳の士からすれば、「無駄な努力」とまでは言いませんが、回り道も、甚だしい徒労です。

どういうことかと言うと、努力はそれはそれで尊い物ですが、正直、苦行と同じ範疇の代物です。
努力して、苦しんで、まあマイナスのカルマを相殺出来るのでしょうが、プラスの陰徳にはなりません。
成功するかどうかは、結局、陰徳のプラスがあるかどうかなので、下手したら努力だけして終わります。




もっと言えば、努力出来るというのも、実は才能と環境です。
脳の分泌物が、性質と教育によって、努力しやすいようになっているだけの話です。

本当に運が無い者は、努力すら出来ないのです。
本人にやる気があっても、環境が悪ければ、花開きません。
要するに、努力が出来るというのは、それだけで、相当な運を持っています。
 
一般に、この論理は努力ができない屑の言い訳というのが大半ですが、言ってみれば、パソコンの調子と同じです。
我々は、パソコンの処理速度が遅いからと言って、パソコンが努力不足だとは言いません。
※メーカーの努力不足とはあながち間違っていませんが。
人間が、ただの高性能なモバイルPCである以上、ただの仕様なのです。
 
ここを勘違いした人間が、努力が足りないと他人を見下し、さらには成果を独り占めします。
こうした人間は、せっかくの天からの賦与(ギフト、文字通りの天才)を、毀損し、福分を傷つけています。
※努力が才能だと気づかないということは、それはそれで、自尊心に満ちた幸福な人生なのでしょうが。

そうすると、結局、それの根元的な、ファクター(要因)は何でしょうか?
当然、運です。
運が一番強いのです。

生まれ持った運が、一番強いのですが、まあ、もう生まれてしまったものはどうしようもありません。
無いものねだりしても、時間は撒き戻せないのです。

そこで後天的に、運を改善する必要があります。
そして、運を形作るものが、因果応報の原則です。
その構成物である善行悪行が胆になります。
善行・悪業の因→楽業・苦業の果という式が基本です。
※この法則が単なる人間の仮想空間の産物なのか、外部的に法則であるかは意見が分かれます。


陰徳を積み重ね、改過を実施している者とそうでないものは、スタートが同じであろうと、同じ努力をしていようと、時間が経てば経つほど、その結果に大きく差が開きます。
下手をすれば、前者は、努力すらしていないかも知れません。
まさに無駄な努力なのです。
悲しいことに現実は、そういうものなのです。


その証拠に、人間社会には、驚くほどの不平等があります。
生まれによる、美醜、資本、地位、才能等々、これでもかと言わんばかりに不平等があります。
宝くじ100億円に当たった人は、他人に比べて、100億倍の努力をしたと言うのでしょうか?
現在の日本の政治家は大半が二世三世の世襲議員です。
これに関しては、共産国家の中共というファシズム国家の連中にさえ、ツッコまれています。
世の中は、努力など一ミリたりとも関係ない、不平等の結果に満ち溢れています。


例えば、我々は、日本人です。
※日本人以外の読者の方々がいらっしゃったらすみません。
が、アフリカの難民の子供と比較して、我々が幼少の頃、安全も水もある環境にふさわしい努力をしたと言うのでしょうか?

努力など全く関係ありません。
努力したと言っている人は、単に、努力できるような環境や性質体質に、過去の因で運よくなれたからこそ、努力出来ただけのことです。

具体的に言えば、体質として、内臓が整い、体の歪みが少なく、丹田の位置がしっかりと正中心にあり、血のめぐりが良い者です。
そこが基本で、さらに環境の阻害が無い者ですね。



現代科学は、薬学が発達しているので、脳の内分泌系を簡単に変えることが出来ます。
どんな元気な者でも、あっけなく欝にし、自殺させるような薬さえ出来ています。
人間の努力などは、その程度の物なのです。
たまたま、脳の内分泌系が、努力出来る化学的効果を放出しているというだけのことです。


村上龍の政治経済小説に、「愛と幻想のファシズム」という名作がありますが、そこで弱者と強者の分類として、面白い見方がありますので引用します。

猿は本来ならば増えすぎて滅ぶのだが、ポピュレーション調節に三つのことが作用した。一つは病気だ。猿ほど多くの病気にかかる動物はいない。二つ目は、子殺しだ。新しいリーダーが、以前のリーダーの赤ん坊を殺すのだ。三つ目は、殺し合いだ。人間は猿から進化したのだから、強者の条件はそれだけで充分なのだ。すなわち、子供の頃殺されずに済んだという運、病気に打ち勝つからだ、殺し合いに生き残る力、その三つがないものは弱者なのだ。

要するに、運なのです。
 
 
【本日のまとめ】


さて、こうした意味で、結局、根本的な要因(ファクター)は、運(陰徳)です。
学業や仕事など日常生活を送りつつ、陰徳を積むことで、命運を改善出来ます。

努力オンリーだったら、毎日数時間以上の超人的な努力を、三年間もしなければ出来ないことが、陰徳を積みながらならば、のん気に普通にやってて、かつ一年もかからいで達成できます。
さらに10年単位ですと、もはや天と地の差があります。

と、まあ、今、こんなこと(努力不要論)を言っていますけど、実は、ぶっちゃけ言うと、最終的には、あまり関係なくなってしまいます。

というのも、たぶん、途中で、陰徳の因果応報効果で、体と脳が、健康になって、元気が出てきてしまうからです。
前述したように、所詮、努力は、体の健康具合の出来次第です。
エネルギーが有り余って、努力なんてしたくないと言っていたのに、いつのまにか、徹底的にハードな努力をするようになってしまいます。
というか、そうでもしないと、ストレスが逆に溜まってしまうのです。

まあ、その場合でも、初心を忘れず、「努力しないやつは怠け者のクズだ!」という傲慢の魔境にならないように、気をつけて頂ければ幸いです。