【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】立命の学⑧ 今夜はノンストップで朝まで生でダラダラ行かせて | (旧館)豊河怜の開運ネットワークブログ

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なお、コメントやメッセージやメールで、皆さんの陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、ご遠慮無くご応募下さい。

その事例が、他の閲覧者様の新しい積善改過の参考となり、さらに陰徳になるという、好循環が起きます。
 

 

 

前回、自分を省みて、科挙試験に合格し、高官になれる器ではない、と自己批判した主人公。
さらに、子供が出来ない理由の自己批判を続けます。
「総括(政治用語)」でもされているのかと疑いたくなるほど、ボコボコに自己批判しています。

 

 

地の穢れが、多くの生き物を生み、水の清きは魚が棲めない。
清濁併せ呑む器が、私には無く、潔癖症です。
これが、私が子供が出来ない理由の1つ目です。

 

和合の気は、よく万物を育成する。
それに対して私は、よく怒りやすい。
これが、私が子供が出来ない理由の2つ目です。

 

愛情は、生成の本である。
残忍は生成させない根です。
それなのに、私は自分の立場や名声やプライドを惜しみ、自分を捨てて犠牲にし、人を救うことが出来ません。

これが、私が子供が出来ない理由の3つ目です。

 

多言は、気を消耗します。
これが、私が子供が出来ない理由の4つ目です。

 

深酒は、精を消耗します。
これが、私が子供が出来ない理由の5つ目です。

 

徹夜長座を好んで、自分の根本的なエネルギーを守って精神を養うことを知りません。
これが、私が子供が出来ない理由の6つ目です。

 

その他の過悪はまだまだ多く、数えることすら出来ません。」と。
 

 


後半は、どうみても、ただの気功とかの健康法とか生活習慣な気がしますが、とにかく、主人公はひたすら総括しています。
とはいえ、もともと、陰徳を積むには、実は自己批判(反省や内省)は必要です。

 

陰徳での開運は、もちろん善を行う必要がありますが、それはあくまでプラスの経験値です。
同時に、マイナスの経験値を積んでいたならば、いつまでたっても、レベルは上がりません。
よく使う例えを使うと、ざるで水をすくっても意味が無いのと同じことです。
 

さて、前半部分を見てみると、この書の理想的な善人は、どちらかと言うと、一般の「潔癖な善人」とは、違う概念だと言うことがわかります。
我々が、よくイメージするのは、仏教やキリスト教の、戒律の厳しい出家や、生徒会の委員長(メガネをかけた三つ編みの女の子)のイメージです。


ここらへんは、この書が、宗教的な聖人を目指すのではなく、外的な立身出世を目指すという、社会に迎合した和光同塵的な、目的の違いでしょう。
ハードコアな出家生活の戒律だと、女の子に近寄るのもダメだし、お金を触るのもダメですので。

清濁併せ呑む大人のイメージが理想ということでしょう。

 

後で、細かく事例が出てきますが、他人の悪事を暴いたり非難したりするのは、推奨されていません。

※悪法を改革するのは、奨励されていますが。
現在形で、被害に会っている人が居ないかぎり、旧悪は暴かない裁かないという方針が、推奨されているようです。

 

聖書のイエスも「他人を裁くな、自分が神に裁かれないために」と言っていますので、皆さんも、自分の才知にまかせて、他者や社会批判してはいけません。
つまり、どこかの誰かのように、正義心から、一神教反日を叩いてはいけません(豊河の自己批判)。


後半部分は、上記したように、今でも気功などの気の健康法でよく言われる内容です。
多言やセックスや深酒や夜更かしなどは、当然、健康に悪く、気功的には、気を損じます。
長年やっていると、内臓にダメージが出てくるので、当然、改める内容です。
倫理的な、悪ではなく、善でも無いので、陰徳とは言いがたいのですが、開運には必要なことでしょう。

 

前半の、心を広くする慈悲心を養うには、色々方法がありますが、簡単に今からでも出来る方法としては、仏教の「慈悲の瞑想」がやりやすいでしょう。

ググッてみると、今の時代は、いくらでも出てきますが、一般に普及しているのは、上座部仏教(小乗仏教)のやり方です。

 

生きとし生けるものが幸福でありますように。

生きとし生けるものが悩み苦しみがなくなりますように。

 

とひたすら念仏の如く、ブツブツと唱える(口に出さないで念じる)だけの方法です。

対象は、自分(私が幸福でありますように)から初めて、仲の良い人や生き物全般へ。最終的には敵すらも対象にします。

 

仏教の瞑想法としては、悟りを開く正攻法の瞑想ではありませんが、在家で、運命転換するためには、うってつけの瞑想法とされています。

 

この慈悲の瞑想の、ありがたい功徳は色々とあり、

夜ぐっすり眠れるという快眠効果や、さわやかな目覚めの功徳という微妙な現世利益や、

・火や毒や武器にやられないという、スカラやフバーハのような守備力アップの効果や、

・接触回数やプレゼントや、デートもしないのに、天界の神々の好感度パラメータを勝手に上げて、援助してくれるという、ギャルゲーのチート攻略や召喚魔法のような功徳

・死ぬときに、安楽死出来るという現代人の他人事ではないニーズにあった功徳や、

・顔が綺麗になり高貴(?)になるという安上がりな美容効果や、

・人に好かれるというカリスマ効果や、

・「死後、天界以下には落ちない」という極楽浄土利権の阿弥陀如来の商売敵のような、

ありがたい?功徳が色々と、十一個もあります。

※と、上座部仏教では力説しています。

 

というより、今の時代、我々日本人の地政学的な状況は、極めて危険な位置にあり、

いつ、隣国の狂った反日ファシズム国家群が、トチ狂って核ミサイルをぶっ放してきたり、大震災や原発がいつクラッシュするか分かったものではありません。

 

もちろん、日頃から、陰徳を積んでいる人たちは助かるでしょうが、下手に中途半端な陰徳ステータスで、死んだりすると、死後、はっと気づいたら、数メートルのムキムキマッチョな鬼に両脇から掴まれて、閻魔大王の前で生前の悪行を読み上げられるという、非常にまずい状況(古典的イメージ)になりかねません。(死後があると仮定して)。

 

念仏と並んで、死後の保険のために、天界以上を約束している慈悲の瞑想をしておくと、転ばぬ先の杖で、開運と平行して一石二鳥かも知れません。

※なお、念仏や慈悲の瞑想をやったのに、死後全然効果がなかった!地獄行きが決まってしまったどうしてくれる!というクレームは弊社は受け付けませんので阿弥陀如来や仏陀にクレームをお願いします。

 

もちろん、世界には、大乗仏教系の慈悲の瞑想や他宗教の方法も、勿論ありますので、ご自身に合ったものを実行して頂ければと思います。

 

要するに手段は、どうでもよくて、目的が達成できればよいのです。

禅問答風の話によくありますが、経典や文字は悟りへの手段であって目的ではありません。

月を指差す指は、月を指差す手段であって、月という対象ではありません。

 

開運という目的のための、さらにサブ目的である、広い心の獲得のために、手段である色々な心理コントロールの方法は、何でも良いのです。