タイトルのままなのですが、結果、2月の初めから近所の病院と訪問医療、訪問看護の契約をし、オプチューン、テモゾロミドという抗がん剤を中止しました。



前回のブログからの続きなのですが、1月末のMRI検査で腫瘍が2倍ほどに大きくまわりに浸潤しており、見た瞬間に素人の私でも、真っ暗闇に堕ちてしまったような死刑宣告されたような恐怖、悔しさ、納得のいかなさ…いろんな感情に占領され、、、「これは夢だ」と思いたくて、でも現実で。

主治医は夫に話しかけていましたが、夫が内容を理解できずに話しが通じず、こういうこともプラスされたんだと思います。

主治医「今、できることはもう全てやりました。もう治療をストップして残された時間、その時間やお金を家族と遣われてはいかがでしょうか、、」


私が(おそらく夫も)聞きたくなかった先生からの宣告でした。

ウィルス治療、イベルメクチンの可能性を主治医に食い下がって尋ねたのですが…もう、夫の今の状況では厳しいと。

先生も詳しく丁寧に何故、それが夫には合わないのか

説明してくれました。それを聞きながら途中で夫がもう疲れたのだと思います

「もう、帰ろ?

とひとこと。


主治医も、それが一番だと頷いていました。



最後、診察室で私1人、呼ばれたとき

これからの家族の時間を大切に、とか、

少しでも思い出を、とか、あとは在宅医療の話しもしてくださいました。もちろんもうどうしようもないなら、在宅医療でお願いするしかないので、、

でも、在宅医療ということは、癌からくる痛みの緩和ケアということで、、、看護師さんからは「看取りをする家族へ」みたいなパンフレットももらい。

もう号泣でした。ひとり、号泣。診察室で。

意味がわからない。なぜ、看取り?

椅子から崩れ落ちて泣きました。看護師さんも一緒に涙をながしてくださって。


最後先生に質問をしました。

「先生の感覚だとあとどれくらいだと思いますか?」

と。その時1月末です。


主治医「桜は見れないと思います。」


私「ほかの方はどれくらいで緩和ケアに入るんですか、、?」


主治医「再発して放射線なりして、そこからもう一度腫瘍が大きくなってきたあたりから治療ストップする方が多いです」


「人の生死と向かい合う仕事、本当に辛いし大変ですね、、」と私がボソッと言うと


先生は「辛いです、でも誰かがしないといけないので、、、」


こんな会話をしたのを覚えています。



その時も義理の妹がいてくれてて、夫と診察室の外で待っててくれました。その時に夫に、誰に会いたいか、聞いてくれたそうです。

職場のとてもお世話になった先輩の名前がでてきたと聞きました。

あぁ、再発したあたりから、いつか会いたいと夫が言ってた人だ。近々連絡しよう、と心に決めたのです。


そして 2月。

在宅医療 訪問看護、訪問入浴がはじまりました。

3月の18日まで。





さて、新年になりましたが、我が家は特に変わらず

普段通りの生活をしていました。

お雑煮くらいは作ったけれど、あとはいつもと同じです。夫は大晦日の晩も普段通りに22時ころには就寝しました。


例年なら年越してから家族で初詣に行っていました。

神社で御神籤を引いて大吉で喜んだり、そうでなければ微妙な顔になったり笑

毎年毎年、年越しからの神社でした。


毎年していたことがやれなくなると、現実を突きつけられたような気になります。だからといって夫にはどうすることもできない。

お正月とか関係なく、生きることが最重要事項なのです。

本当に、変な話、魔法使いとかいないかな、ってわりと本気で考えていました。なんとか夫を守ってくれないだろうか、、


そんな感じで日々が過ぎていき、1月も半ばにかかったころ、ソファに座っている夫がふわっと右後ろに引っ張られるように倒れそうになりました。

「うわ、目がまわる、うしろに引っ張られる」

そう言いながら右手を後ろにつき、めまいのような感覚が過ぎ去るのをじっとこらえていました。


癲癇と疑った私はかかりつけの病院に連絡をすると、すでに夜間だけど、すぐに来るよう言われ、夫を車に乗せて娘は留守番させて、病院までいそぎました。

病院では癲癇の薬を処方してもらっただけで、それ以外のことはとくにありませんでした。


翌日、大学病院の主治医から連絡があり

昨夜のことを細かく説明し、そうすると主治医が仰るには、おそらく癲癇ではない、(腫瘍が)進行してるんだと思います… とのこと。。

そこで言われたのが、


もう、おそらく治療は効いてなくて

残された時間をどう使うか、のフェーズに入っていると思います。

奥さんが他にも治療法は無いかと調べていることは気持ちは理解できます。しかし、ご主人の尊厳を守るため、ご主人がご主人らしくすごし、生涯を終える、そうご主人が望むのであれば僕はそうします。

僕の患者はご主人なので、、

脳外科医として20年は経ちましたが、膠芽腫で5年生きた人は僕の患者では5人です。

その5人に共通するのは手術で95パーセントほどは腫瘍を摘出できた人で、かつ、オプチューンを90パーセント以上装着していた人です。

その5年生きた方も手術から4年ほどで再発してしまい、やっぱり半年ほどでお亡くなりになりました。。

6年以上という人は僕は見たことがないんです。。


そう、辛そうな声で少し涙声で、、主治医の先生はおっしゃいました。


この電話は主人のいない部屋で話していたので、主人には聞こえていませんが、先生も涙声、私も涙。


そしてこの1月の末にあるMRI検査での結果をみて、

先生「もう治療をやめて残された時間をご家族とどう過ごすか、、のフェーズにきています。ということをご主人にも伝えます」


と言われたのです。


なんてこと。


そして1月末のMRI検査。

腫瘍は2倍近く大きく広がっていました。

オプチューンはしっかり95パーセント付けてたんですが。。

こんなに猛スピードで広がるんだ、、ってくらいに。。




12月に入り、夫は今まで以上に口数が減り、椅子に座ってゲームをしたりスマホを見たりして過ごしていました。


スマホを触りながらテレビでもYouTubeを見て、加えてタブレットでもYouTubeを見て…

何故そんな、いっぺんにいろいろな事をするのか、訊いたことがあります。

夫は「俺には時間がないから」

と答えただけでした。

そんなこと、あるわけないじゃん!まだまだ頑張らないとね♪

と空元気で私は返事をしたのですが、胸は締め付けられました。

時間がないから、情報をまとめて取り入れる?

…時間がもったいない、ってことだったんだと思います。

オプチューンは一日中装着していました。


「なんか手がジンジンする」

「足の指がなんか変」

このころは、そういう異変が身体に起きていました。


そして夫の使っていた腕時計を娘に「もう使わないからあげる」と、あげたり財布を「俺に万が一のことがあったらこれ、形見だね」なんて。そういうことも話していました。

正直辛かったです。そんな話し聞きたくもない。

自分に万が一があれば、葬儀場までリクエストされていました。どうやら、お仕事上のお付き合いがあったところで、そちらの社長にはよくしてくださったらしいです。旅立ちの支度のようで、本当に本当に聞いていて苦しかったです。でも私は悲しむわけにはいかないのでサラッと「はいはい」と返事をするだけでした。

夫が旅立つことだけは、最後まで否定したかったので。。

そして、運命の12月末のMRI検査。

結果、腫瘍の大きさは変わっていませんでした。

大きくなっていない!それだけで、命が助かったかと思うくらいに私たちは喜びました。

この1ヶ月、めちゃくちゃ頑張ってオプチューンを付けていたので、この調子でいけば腫瘍は大きくならない!

ワンチャン小さくなるかも!


良かったーーー


オプチューン様様だわ、、、


スーパーケトジェニック様様だわ、、


この調子でいけば大丈夫。

そう思って気持ち軽く、年越しをしたのです。


夫と最後の年越しになりました。