家族がみたもの | 夢と理想を持て!愛と勇気のメッセージ -豊秀之-

夢と理想を持て!愛と勇気のメッセージ -豊秀之-

心とは何?人間はうれしいとき心にはワクワクした感覚があります。夢を持ち、理想を持ち愛と勇気で生きてゆこう。人生は必ず開き美容道が日本を救う。

そしてもうひとつ、何かの意味を見出して越えていかなくてはいけないと思うのは病気や事故などで亡くなった方の家族の「心の苦しさ」だと私は思っています。
家族を、癌や病気、事故など大切な人を喪うという現実に向き合うことへの辛さや、苦しさをどう考えればいいのか?
その心の状態をどう考えればいいのか? 
私の母は、62歳で他界し、父は76歳のときにこの世を去りました。
当然に辛いものですし、葬儀のときは永遠に涙が止まらないほどに泣きました。
後悔の念がなかなか抜けなかったことは言うまでもありません。
また、私自身の入院生活でもたくさん知り合った方とのお別れがございました。
そして現在、患者会を運営する中でも、やはりお別れすることはあります。
ご家族の方と1周忌が過ぎた今でも、たくさんの「その時の心境」などのお話を伺います。
余命宣告の末に、亡くなった時などは私なりに言葉に出来ない感情があります。
そこには何の意味があるのだろうと、考え抜いて苦しみもしますが、今心で感じることが全てだと思います。
そんな時にこそ、心のあり方や状態、心の持ち方というものが大切になってくると思っています。
その状況をどのように捉えればいいのか?
本当に辛いですが、極論的なことは「人間は生き物」ということですし、生きている限り、嫌だけど必ずいつかは生命の終りがあります。
いろんな宗教やいろんな考え方はあるでしょうが、私はこのように日々の生活の出来事から心の感じ方に目を向けるように成り、なにかこの経験と考え方が、遺族の方のお役に立てればと思えるようになりました。
退院後は東北の被災地に足を運び、延べ20日ほどボランティアの活動をさせて頂いたときにも数え切れない遺族みなさんとの悲壮な出逢いがありました。
辛いことや苦しいことは必ずやって来ますし、避けては通れないです。
だから、現実から逃避するのではなく、出来事や自分の気持ちを受け入れて、心に向き合って見ることが大切だと私は考えています。
何か少し、異論のあるテーマだと思うのですが、ここを抑えることが、生きているという人生の楽しみや、醍醐味を満喫できる肝心なポイントだと思っています。
あなた自身が苦しむことを誰が望んでいるでしょうか?
私は、遺言を書いたことがあります。
結局まだ誰にも見せていませんが、その内容は、愛する人が私の死を受け入れて、この先を幸せに生きてほしいという願いです。
不慮の事故等で「亡くなる前に遺書など書けなかった」という方もたくさんおられるのですが、もし書けていたなら「愛する人へ…この先、悩み苦しんで生きてください…。」ということを書くことは絶対にあり得ません。
間違えなく残された愛する方への「感謝の気持ちを伝えたい…。」のだと私は確信しています。
私も、最後の本当に伝えたいことは「…ありがとう…感謝。」でした。
そして、あなたの愛するかけがえのない大切なその人は、私には何処からか判りませんがきっとあなたを見ていてくれるはず、それを心で感じられるはずです。
悩み苦しんだとき、最終的には自分の感じ方は、自分の心が決めているのです。
自分の心が何よりも正直で、愛する方への思いに素直になれば、いろんなことを教えてくれると私は思います。
心に聞いて聞いて、聴きつづけてみてください
「もう苦しまなくていいよ…色々あったけれども幸せだったよ。」…と。
少しぐらいは、能天気で楽天的でいいのです。無責任なように聞えるかもしれませんが、それぐらいの考え方でいいと思うのです。
当たり前ですが、私は今も父と母を愛していますし大好きです。
今でもまぶたを閉じて想い巡らせていると、意外と今も両親が、私の近くに居てくれているような気持ちになり、たくさんの事を教えてくれている気がします。
何にも変えることの出来ない、この身体を私に与えてくれた両親は、この「心の中で生きていますから」そう想い最幸に毎日を感謝しています。
そのように私はいま、素敵に「思いを巡らせる心」が大切だとそう感じています。
ある意味ここは、メルヘンチックでもロマンチックでもいいのです。