私は、2008年9月25日に30年間続けて来た美容師のお仕事を引退し、鋏を置いてサロンワークを離れました。
15才の頃から始めた、大好きな美容師のサロンワークを離れるのには、それ相当の理由がありました。
健康診断で、腸に癌が見つかりやむなく鋏を置いたのでした。
その時の心境は、言葉には表せない程の状態だったことを強烈に覚えています。
「何で…俺が…こんなに一生懸命仕事をして…頑張っているのに…何で…」と頭の中をその様なことばかりが、ぐるぐると廻りました。
入院してまもなく、ICU(集中治療室)という部屋で、意識が朦朧としていたときのことですが、筋電図の音がピーッピーッ!となる毎に、私の頭の中を画像化された過去の記憶が規則正しくスライドショーのように何時間も流れる体験をしたことがありました。
これが、よく亡くなる時に「今までのことが走馬灯のように流れるらしいで…」と聞いたことがあったので「きたのかな?」となんとなくですが覚悟をしたように覚えています。
臆病者の私でも、まったく怖くはなかったのですが、今思うと不思議な感じです。
人工肛門(腹部に腸の一部を出し便を排出する)を装着するという事実が受け止められずに、体力の消耗もさることながら、心はかなり参ってしまっていました。
そんなある時、私の足元に現実の人物ではない人が立っていこともあり、それが誰かと考えた挙句「私の前世」が、「まだ早いから帰りなさい」といって見に来たのだと、勝手に思いを巡らせて見たりしていました。
それが何だったのかはさて置き、そんな瞑想のような、何だか解らないようなことを考えている状態が続いたとき人間は面白いことを妄想します。
身体の細胞が、生きている感じがして、頑張って傷口を修復してくれているような気がしたのです。
トカゲの尻尾が切れて、修復するようなそんな感覚でした。
また、明日は退院という日の事、便がなかなか出ず、ついに腸閉塞になってしまい、退院が1週間も延びた日のこと。
鼻から2メートルの管を腸まで入れ、1週間かけて少しずつ、その管を抜いて行くという治療をした時の事は、忘れられない妄想体験をしました。
ノドと鼻の間が痛くて辛いから、唾ものみ込めない状態で、何故だか、たまにノドが勝手にゴクンとなる。
そのゴクン…が、今くるか今くるかと、残酷感が満載で…「ゴクン」痛い…。
このときは、私は宇宙人に連れ去られ、宇宙船の中で実験をされているような妄想に入り込んでいました。
そんな時の妄想は、身体の細部に神経が行き渡り、ひしひしと生命の鼓動を感じながら勝手に脳裏に浮かぶ気がする状態でした。
なんか、無意識にどんどん瞑想して行くような感じで、考えているというより感じているという感覚です。
時には自分の周りの環境と、生きているという実感に幸せな気分になり、ほんとうに長い時間ずっと理解出来ない感動をしていました。
しかし、そこは病院の集中治療室、亡くなられる方も沢山おられる病棟でした。
病室でのそんなある時、今までに味わったことのない辛い生活の中で、自分の「心の持って活き方」を色々と工夫し、考えるようになりました。
現実との闘い、苦痛との精神的な闘いです。
これは「我慢大会だ!」とか、「修行だ!」とか「試練だ!」とか、自分なりにかなり工夫し考えながら、今息をしている自分の心境にふと気がついたのでした。
「これで、心がポキンと折れたらどうなるんや…」とか弱気な心境になる時もありました。
そんなこんなで、ある時は「細胞が生きたがっている…」
「心が活きたがっている…」と感じるのです。
窓の外には大阪城がある、森之宮の夕暮れを眺めながら、人工肛門を「プルプルくん」と命名し、「俺の身体が生きたがっているのか…」と、そう感じたときは何時間もずっと涙が止まりませんでした。