ゲーデルは、ソクラテスが語ったことを、言い換えたのかな?
結局、人間は、知らないということを知るしかできないということなのかな?
影を追うことは、人間のかなり本能に近い部分に根差した行動のひとつではないかと思うけど、
所詮、影は、実体ではない。でもそれによって、針葉樹か広葉樹かは、ヒトにも判断できる。
次元を、下げることによって、観測者に認知可能にする、とても有効な方法のひとつだと思う。
あと、座標の問題なのだけど、この世には、一定の長さの物差しなどというものは存在しないし、あったとしても、雲形定規のようにお絵描きにしか使えないようなものでしょう。 もし、棒状のものがあったならば、それは、孫悟空の使っていた如意棒のようなものだと思います。
そうそう、ここでも、使っちゃいましたが、アナロジーが最大の人間の思考の道具だと思います!
そんで、何が言いたいのかというと、数学がその無矛盾性を証明することができないならば、この世の中のことを、人間が正確に把握することは不可能であるということで・・・ でも、正確に問題が解けなくても、というか正確性を求めなければ、我々の生活に有用な、法則なり公式を、まだまだ導き出せるということなのでしょう。
どうも我々は、次のステップに進めない存在なのかもしれないし、次のステップがどんなところであるにせよ、今ある道具などで、毎日の生活を、充実していく努力をした方が良いようだ。
” 神というのは、ヒトが考え出した座標なのではないでしょうか? ”
でもとても便利なようですし、皆が使えば、実体化してくるのです。
それの次元を、一つ以上上げてやると、全能の神となるわけです。
でも座標もエーテルも、我々が思考を継続しようとして、生み出したもので、別になくったって、僕らは生活していけるわけで:::
ただ、猫に小判、馬の耳に念仏だったらよかったんだけど、『 女郎に小判 』はまずかった!
原子力のことだ! どうも、原子爆弾つくっちゃったもの。 どこでも、いつでも発火していいのなら一番簡単な技術だよね。
マッチ一本、火事のもと。。。
火遊びって、いくになっても楽しいもんだからね。。。
最後に、現代のわれわれが、より生きやすい世の中を望むならば、我々が、今日常行っていることを、心を込めてやることだと、僕は思うのですが。。。。。
所詮、AIは,ヒトが生み出したものですので、自身が更新したアルゴリズムで動く限り、ヒト(細胞によるコンピュータを搭載していて、70億台ほど存在している)を超えていくことはできないと思います。少なくとも、その到達点は、電子を利用している限り、ヒトを超えられないと思います。
それなので、人がいくら、やっきになって、開発してみたところで彼らは走り出さないのです。
ヒトの身代わりにはなりたくないですから、、、、、、
だから、この世は、いまだにヒトの世なのでしょう
でなければ、もう、自動車は、勝手に走り出しているはずです。。。
どんなものでも、僕は、意志 (方向性)を持っているのではないかと、僕は考えています。
だから、僕は、僕以外のモノをなるたけ、大事にしています。
それで、そのモノの方向性の方に、動かそうとすれば、
素晴らしいい、活躍をしてくれるのではないかと思っています。
なんじの隣人を愛せよ→ 少なくとも、自家用車くらいはかわいがってやらないと・・・
あなたは、あなたの配偶者を、本当に可愛がって(愛して)いますか?
お子さんを、過干渉という名の虐待で苦しめてはいませんか?
どうも、この世には、魔法のランプのような物があるようです。
パンドラの箱もたくさんあるようですが、あんまりたくさん開けない方が、身のためのようです。。。。。。。
That"s all for today !