嫌なことをやめてみる




そしたら



周りからも

顔が変わったね❣️


と言われるレベルまでに😳




そこから抜けると




なんで

自分は今まで

そんなことしてたんだろう?


過去の自分が

不思議なくらい



まず自分自身が

嫌なことに


気づかなくらい

ナチュラルに蓋をして

重症だった時は



しなくてはならない

こうあるべき



という思い込みが強く



そして


自尊心が低いため


周りは

依存だらけの人になり


疲弊していた



いや



むしろ

自分から飛び込んでいたね



それは

役に立つことで



存在価値を見出して

いたから



でも

そのパターンを手放すのは




冷たいんじゃないか?

自分勝手じゃないか?


なんて

怖くもあったけど



この世で唯一無二の

『ワタシ』という

存在を

一番大切にすることで




心身の健やかさに

つながり



本当の意味で

人に優しくしたり

与えられたりする


なにより

自分がハッピーであることが



嫌なことをやめることに

よって

気づけた





やりたくないことを

やらない

というのは

本当に無責任なのか?



役割は果たす必要はあるけど



やりたくないことを

やり続けるのは

自分に対して

無責任ではなかろうか?




今の

基準は


自分がワクワクしてて

楽しいなら

それは

オッケー



でも


自分の気持ちを

放置して


責任という名の

過度のお節介は



自分の存在価値を見出している

エゴで


人の成長を妨げる



それには

お節介ではなく



相手を最大限に信頼し

可能性を信じること



 

自分の少しの勇気と

発言が


自分の成長と

相手の成長も促し



その方がうまく回る

本当の循環




それが実行できると

とたんに 

上昇気流にのっていく



とても大切なことは


自分の中の渇望を見つけること


そして

それがなぜ起こっているのか




それを満たすために

自分で嫌なロジックを

作り出していないか




本当は

どんな人に囲まれて

どんな世界をクリエイトしていきたいのか


しっかり

掘り下げすること



渇望の中のロジックには


今までの

自分の思い込みや

習慣がある


それが

ネックになって



幸せを感じられない

体質を作り出しているかもしれない



居心地よい自分をつくるために

ぜひ



『やめる勇気』を💕






写真は

目の前が湖畔の

友人宅から見える朝日☀️