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ジャーパネット
ジャーパネット~
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でなくて
「北の国から − 遥かなる大地より」
作詞 さだまさし 作曲 さだまさし
アーアー アアアア アーアー
アアー アアアア アー
ンーンー ンンンン ンーン
ン ンンン ンンン ンー
.........................
ウチの
リトルボーイくん
カラオケに行くとこれを歌います
松山千春さんが9月18日に91歳で亡くなった脚本家の倉本聰さんをしのんだ上で、代表作「北の国から」の主題歌を断った理由を明かした。
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松山さんは前段で過去2回ほど大きな口ゲンカをしたと告白。その上で「俺は『北の国から』って見てないんだよ。実を言うと」と切り出した。
「『北の国から』を作る時に倉本さんが『千春、主題歌を書いてくれないか』って言われたんだよ。で、俺は『倉本さん、何言ってんですか。俺たち、こういう付き合いじゃないですか。それが劇作家と、作詞作曲家みたいなな。仕事で付き合うなんて、そういうのはやめましょうよ。そしたら、また付き合い方が変わっちゃうじゃないですか。今みたいにこうして楽しく行ったりしたりしてる方がいいじゃないですか。そういうのやめしょう』と」と一気に語った。
続けて倉本さんが「いや主題歌書いてほしいんだ」と言うと、松山さんは「だから俺は嫌だ。俺はできない」と製作を拒否。倉本さんが「じゃあ、誰かいないか」と聞くと、松山さんは「さだまさし、いいんじゃない? じゃあ、まさし紹介するから。まさしに主題歌が書いてもらったら?って言って、さだがあの『北の国から』の主題歌をやることになった」と当時のやりとりを再現してみせた。
日刊スポーツより抜粋
さだまさしがコンサートツアーで札幌に行った1980年12月15日、さだと当時のバンドのギタリスト坂元昭二は『北の国から』の脚本家倉本聰の富良野の自宅に呼ばれ、連続ドラマ版の第1回・第2回のビデオを見せられた。倉本に感想を聞かれたさだが「これは大ヒットしますよ」と答えたところ、倉本に「じゃ、まさしが音楽やって」と言われてしまった。
当初さだ自身は九州(長崎県長崎市)出身でもあってか、「北海道には地元出身のシンガーがいるだろう?と答えたが、倉本は「そんな事は関係ないから、是非さださんに作って貰いたい」と答えた。
問答の末にさだが承諾したところ、今度は「今作れ!」といわれた為、即興で作ることになった。
さだは、北海道の広大な大地をイメージしたメロディーラインを「♪ああーあああああーあ」と発したところ、倉本が「それいいね。で、その続きは?」と言い、「♪ああーあああああー」と発した。さらに倉本の「続けて」に対して、さだは「♪んんーんんんんんーん、んんん、んんんんんー」と呼応した。
これを聞いた倉本が「いいね。これでいこう」とそのまま決定。メロディーラインを即興で考え発しただけのつもりが、イントロのギターからAメロ・Bメロと、その時の即興メロディー案がそのまま採用され、わずか10分ほどで基本が出来上がったという。
wikiより抜粋
後日、倉本さんが「千春、主題歌ができたのはいいけど、歌詞がないんだ。アーとウーなんだ。どうにかならないのか」と言ったという。松山さんは「それはもう、さだに言ってくださいと。俺がアーとウーで作ったわけじゃないですから、さだがそうやって作ったんですから。それは確かに作詞は欲しかったかもしれないでしょうけど。もう彼に任したんですから、それはそれでやってもらうしかないですよ」と切り返したと明かした。
日刊スポーツより抜粋
倉本さんを
「北の国から」を
世に送り出してくれた皆さんを
忘れたりなどするものですか。
♪

