信仰と結婚 | Agnus Dei

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気取らず、前向きに、美しく。

先日、五島列島と長崎を一人旅してきまして、それが本当に素晴らしい旅行になったので、そのことについて書きたかったのですが、ちょっと分量がかなり多くなりそうなので、まず以前から書こうと思っていたことで旅行記よりはさらっと書けそうな記事を先に書いてしまおうと思います。


昨今、晩婚や「結婚しない」人が増えていますが、僕にはものすごい結婚願望があります。いつもいろんなことを考えたり感じたりして、面白いものを見つけたらすぐ誰かに伝えたくなっちゃうし、そういう意味でやっぱり僕は誰かと一緒にいたいのです。一人の時間なんて、ほんの少しでいい。誰かに伝えたい、誰かと話したい願望がうまく達せられないがためにSNSに依存してしまうのはもうこりごり。

結局、友達だって恋人がいればその人のところに行ってしまうわけですよね。僕のことを最優先してくれるわけではない。彼女とか奥さんって、どんなときもお互いの味方になれる存在だし、いつでもそばにいてくれる存在。やっぱり素敵だなと思うわけです。


でも僕はカトリック信者。ちょっと食事をしたりデートしたりするくらいならよくても、この歳になって結婚を考えるようになってくると、やはり恋愛に関して信仰の問題を措いて考えるわけにはいかなくなってくるわけです。


自分で言うのもなんですが、僕はもてるほうです。見た目も学歴も仕事も年収も声も話し方も特技も、「スペック」(僕はこの言葉が嫌いですが)という観点からすれば、女性にとっては印象がいいはずです。自意識過剰などではなく、今までの女性からのアプローチの数を客観的に思い返せば嫌でも自覚します。

でも、やっぱりダメなんです。素敵な女性からアプローチしてもらっても、嬉しいけど、この人とはダメだろうなあって、初対面の時から感じてしまうのです。神様を信じてるなんて言ったら心のなかでは笑うんだろうな、とか、毎週日曜早起きして教会で単なるパンをありがたがって跪いてるなんて変な人って思われるんだろうな、とか、いろいろ考える。

そんな理由から、アプローチを断ります。中には、それでも納得せずに、「キリスト教のこと知りたいから教えて」といって近づいてくる人もいます。


でも、ダメなんです。「理解がある」じゃダメなんですよ。

よく、「私あなたの信仰も理解したいと思っているよ」と女性から言われます。僕はそういうスタンスな時点でもうダメです。「理解する」って上から目線ですよね。あなた変な趣味持ってるけど私それ否定しないよ、心広いでしょう、そんな印象を受けてしまう。


やっぱり、神様の存在を常に感じている人じゃないと。イエズス様やマリア様の存在なんかは、別にあとから知っても問題ないです。信仰表現の仕方の違いに過ぎないと思いますし。結局「八百万の神」だってキリスト教的にいえば「聖霊」のことでしょう。一神教か多神教かすら、捉え方の違いにすぎないわけです。でも超自然的な「何か」を常に感じられること。これは本当に大切。そしてキリスト教的な世界観、美術・芸術に強い関心と親和性を持っている人。これも大切です。寺もいいけど教会が一番好き、そういう感覚的なスタンスからやっぱり共有できないと、夫婦になんてなれっこないのです。


信仰ってそんなに大事なことなの?一緒にいて楽しいならいいじゃん、私のどこがだめ?

こういうことを今まで何度も聞かれました。どこがだめとか聞かれても困るのです。だめなところなんてないです。あなたは素敵な女性だと思います、でも僕とは合わない、それだけで。


そうすると、結局僕は教会での出会いに期待するか、僕の気を引くためとか一切関係なしに本当に心から信仰に関心があって、ただ今までカトリックを知る機会がなかっただけで、教えてあげたらどっぷり浸かっちゃうような人との出会いに期待するかしかないわけです。どちらもかなり絶望的な確率といえます。日本のカトリック人口は割合的に0.3%しかいません。そして若い人はとっても少ないです。僕と同年代の人なんて、いくらカトリックに女性が多いと言っても、まず教会で見かけることはないですね。たまにいてもそれはただ女性というだけで、そこから、性格や見た目やフィーリングが合致するかという問題が出てきて、さらに向こうが僕のことを好きになってくれるかという問題が出てくる。


正直、本当に絶望的な確率です。


でもやっぱり、僕の代父の方とその奥様は本当に素敵な夫婦で、絵に描いたようなカトリック夫婦で。ここでは語り尽くせないほどたくさんの信仰体験や辛い出来事を夫婦二人で乗り越えてきて。お互いの大事なときにうまくいくようにお祈りしたりとか、毎週二人揃って御ミサにあずかったりとか、アッシジに旅行したりとか、いろいろ……素敵じゃないですか?僕は将来カテキスタもやりたい。代父の先生がやっているように。結婚講座とかも受け持ちたい。奥さんと一緒に。


神様が素晴らしい人に引きあわせてくれる、ただただそう信じています。

絶望的な確率をいとも簡単に乗り越えてくれるのは神様しかいないのです。


来月から転勤先の新しい教会に所属します。それも、近所に有名な教会があってそこに転籍を希望したところ、人数がいっぱいだからもっと近いところに行ってほしいと言われて行くことになった教会。名前すら知らなかったけど、今日聖堂を訪れたら木彫りの像が美しく素朴な、僕が以前通っていた北町教会にも通じる素晴らしい教会で、神様のはからいを感じました。きっとここで、何かある。


信仰と恋愛の両立は、僕は絶対に諦めたくありません。だから寂しくても恋人は安易に作らない。

待たされれば待たされるほど、恵みと喜びは大きいのです。