皆さんに“笑顔”と“元気”を伝播させる魔術師

富山市議会議員・たかたまり です。

 

こんにちは~

今日も元気に過ごしていらっしゃいますか?

よもやま奮闘記に訪れてくださり

いつもありがとうございます‼

 

さてさて、

実は昨日、富山女性分団員として

「幼年消防クラブ結成式」

出席してきました。

 

 

 

 

年長児さん18名が新たなクラブ員として、

「火遊びはしません」

「気をつけます…火の用心」

と力強く宣言してくれて(o^―^o)ニコ

 

 

 

 

 

 

私たち女性分団員は

オリジナル紙芝居「ドラゴンしょうちゃん」

を披露し、

火の恐ろしさ火を扱う際の注意点

などを伝えました。

 

 

ところで皆さんは、

日本一短い手紙コンクールをご存じですか?

 

簡潔で要を得た手紙として

「一筆啓上 火の用心

お仙泣かすな 馬肥やせ」

にちなんで、

福井県丸岡町で2004年から

開催されているものです。

 

 

 

 

 

この文は、

徳川家康の家臣・本多作左衛門重次が

陣中から妻に宛てたもので、

「お仙」は跡取りとして生まれた

長男・仙太郎 のことです。

馬は戦に欠かせないもので、時には

人の命より大事にしていた

といわれています。

 

 

『火の用心』

いつ頃から使われていたのか?

正確ではありませんが、

1648年のお触れのなかに

 

「町中の者は 交代で夜番をすべし。

月行事はときどき夜番を見回るべし。

店子たちは各々火の用心を厳重にすべし。」

 

とあるそうです。

 

 

のちに「お仙」(仙太郎)が成長し、

丸岡城主・本多成重となったそうで、

 

「一筆啓上 火の用心

お仙泣かすな 馬肥やせ」

 

の石碑は

今も丸岡城の一画に建っています。

 

 

ここで私のいつもの好奇心が

顔を出しまして…(≧◇≦)

 

防火標語も探ってみました。

 

★明治時代

馬引き蒸気ポンプが登場すると…

「ポンプ百より 用心一つ」

 

★大正時代

関東大地震を経験した後は…

「不意の地震に ふだんの備え」

「火事だ 地震だ まず消せ火種」

 

★昭和に入ると、戦時中は

「火事は身の損 国の損」

「火の用心 誰にもできる御奉公」

 

また戦後の物資欠乏時代は

「火の手に渡すな 衣食住」

 

などなど、社会的背景を反映して

種々の標語が生まれたことがわかります。

 

 

昨日生まれた

「幼年消防クラブ員」の園児たち、

式典終了後は、

本物の大きな消防車に乗車したり、

消防の服を着せてもらっての記念撮影と

「火の用心」

心に刻んでくれていました。

 

 

 

 

「大きくなったら、

消防士さんになりたい人~?」

に元気よく

「はーーーーーーーい」と

手を挙げてくれた園児もいました(*^-^*)

 

 

未来の消防士さん、頼もしい限りです🚒

 

 

子どもたちとの触れ合いから

『火の用心』標語を探る機会をいただいて…

また一つ

昨日の私を超えたようで嬉しく、

ありがたいことです💛

 

地域では、地域分団員の方々そして、

地域防犯員の皆様によるパトロールが

毎月2回および年末は特別警戒を

行ってくださっています。

感謝しかありませんおねがい

 

 

江戸時代から、町中の夜番が

綿々と続いているのですねスターびっくりマーク

 

遠い昔に想いを馳せて

先人たちにも感謝ですニコニコ

 

 

 

 

【みんなが輝く 明日のために】★ブレずに まっすぐ ひたむきに★富山市議会議員・たかたまり