模倣は創造の手前? って

話ですが・・

それは人によりけりだと思うのです。

例えば風景や静物の写生から始めた

画家がある時、これからは自由に

イメージした絵を描こうと思っても

そう簡単ではありません。

私の場合、小学校6年までは

脳の中でカラーの映像が勝手に

創生され、それを見ながら楽しんでいた

事なんかがありましたから

絵を描く上ではさほど困りませんでした。

絵を描く場合に描く対象画像が脳の

中にあるのなら

後はそれを外に打ち出す技術=画力という

ものさえあれば具体化できます。

これは音楽でも同じで頭の中で既に

曲が鳴ってうるさいような人は

それを外に出す技術=音楽力さえ

あればよいのです。

 

これらが特にない人は模倣といって

似たような絵や曲を、各部を少し

変えたものを作れば良いのです。

 

例えばベートーベーンの「運命」の

有名なテーマ"じゃじゃじゃジャーン"と

いうメロディがありますが

後半の"ジャーン"の部分を別なものに

変えるとかですね。

 

絵画ならバラの絵を他のものはそのままで

菊とかにするとか・・・

 

これってある意味、アレンジみたいな

感じですが創作の肥やしになれば

なんでもいいわけです。

 

話は飛ぶけどエフェクターでもいいのです。FUZZというジャンルがある....。

グライコというものがある...。

この二つを掛け合わせてFUZZEQ(ファズイコ)みたいな新しいものを作るんでも

面白いのです。

で、グライコ全体にFUZZをかけるんで

なく、ある帯域だけファズるなんてのも

意外性があります。

だから模倣は模倣でも

二つの模倣を掛け合わせると

何となく新しいものが

生まれそうな気配がしてくるわけです。

 

天才と呼ばれる人たちは模倣を初めから

通り越して初めっから飛ばしていたかというと・・・

どうも、そうではないようで

やはり、なんらかの模倣の掛け合わせから

自分の作りたいモノのヒントを

探っていた節があります。

 

よって模倣は

確かに創造(オリジナル)の手前ですが

どれだけ素材(模倣の素片)感を

薄めて行って、新しいスタンダードに

仕立てるかを追求しない限り

 

大したモノは生まれない事になります。

 

この事は起業でもそうですね。

全く新しい業種というものを発案するには

十分なリサーチ(過去と現況の認識)

今までに無かった"何か"を作り出さねば

なりません。

 

人間は創造の動物と言われていますが

創造は想像から始まります。

 

どうせ想像するなら楽しい事を

想像したいですね。