朝飯→ミニおにぎり
昼飯→からあげ君、ツナサラダ
夜飯→ビンチョウマグロの刺身、豚肉きくらげ卵炒め、シーザーサラダ
飲物→コーヒー、黒酢ジュース、午後の紅茶 アールグレイ、むぎ茶、金麦500ml、キンミヤハイボール
どん。
いただきまーす。
朝はてんやわんやだったので、子どもらに作ったミニおにぎりをサクっと食べただけ。
そして、お昼は恒例のサラダとからあげ君。
時間がなくてグチャグチャしてるときはコレに限る。
ビンチョウマグロの刺身、シーザーサラダ、豚肉きくらげ卵炒め。
今週はひたすら朝5時起きが続いているので、食って呑んでさっさと寝た。
その日、なぜだかよくわからないのだが、長女が突然そんなことを聞いてきた。
んん?
それはつまり、エヴァンゲリオンで言うところの、「ごめんなさい。こんな時、どんな顔をすればいいのかわからないの」→「笑えばいいと思うよ」の、「笑う」とはちょっと意味が違ってくる。
要は、つまらなかったり、悲しかったり、ムカついたりと、まったくもって「おかしくない」時に笑えばいいと、彼女は言っているのである。
どういうことなのか?
まぁ、なんとなく言いたいことはわかったようなわからないような感じだったので、とりあえず長女にその言葉の真意を尋ねてみた。
すると、彼女はまくしたてるようにこんな言葉を並べてきたのだ。
「だって、おかしくない時でも笑えば楽しいよ!」
「笑えば楽しいじゃん!」
「つまんない時でも笑えば楽しい!」
「負けても笑えばハッピー!」
「泣きたいときも笑えばハッピーになって、悲しいことを忘れちゃうから!」
宗教の勧誘か!(笑)
いや、もとい、そんなことを突っ込んでは失礼かもしれない。
そう、心に痛みを抱えた人々に甘い囁きで救いの手をさし伸べたかを装っているような輩の話ではなく、彼女は彼女なりに考えて、その結果、なにやら笑うという行為には、人の心の痛みを和らげる効果があるのだと、そういうことを自分の少ない人生経験の中から見い出したわけであるからして、むしろ若くしてその境地に達しことに対しては拍手喝采してもいいくらいだろう。
「涙には心の傷を癒す浄化作用がある」とはよく言ったものだが、同時に「病は気から」という言葉もあるように、笑うことで精神的にポジティブになれることもあるだろう。
そしてどちらかというと、私の心の浄化作戦は、後者に相当すると言えるのであり、だからこそ、「おかしくないときでも笑えば楽しい」という長女の持論には大賛成である。
そう、だからこそ、パパはね、アルコールにまみれて散々しゃべって笑ってグダグダになることが大好物な
クズ野郎か!
はい。
ちなみに、精神科医であり随筆家でもあり、数多くの名言を残した斉藤茂太氏の金言の中に、こんな言葉もある。
「楽しいときに
笑うのは当たり前。
苦しいとき、
悲しいとき、
”にもかかわらず”
笑おう」
また、こんな言葉もある。
「人の顔を美しくする
最高の美容術は
笑いである」
なるほど、人生の大先輩なる方が残した言葉と同じようなことを、自然と体感した長女の感性の鋭さに舌を巻くと共に、改めて「笑い」の大切さを再確認させられたような気もする。
多少、なんかの勧誘っぽいかもしれないけれど(笑)。
あ、だからこそ、(笑)も笑っていることにはかわりなく、たとえソレが嘲笑だったり、苦笑だったりしても、(笑)してれば、ソレはソレでプラスの作用が心に働きかけるのであろうか?
って、なんだかよくわからない方向に論点がズレてきてしまっているようなので、そろそろこの話も終わらせようと思うのだが、最後に長女にもう一度質問してみよう。
「ごめんなさい。悲しいときとか、苦しいとき、どういう顔をしていいのかわからないの……」
どーーーん。
拍手!